ユキムシ (トドノネオオワタムシ:Prociphilus oriens ) 綿毛の脂質組成

 

魏 慧玲,黒田 敬史,佐藤 達哉,高橋 育子,奈良崎 亘(札幌医大・医学部 3学年),

宮下 洋子           (札幌医大・医学部・生物学), 片桐 千仭(北大・低温研・生化学)

 

アブラムシの仲間であるトドノネオオワタムシは,北国の冬の到来を告げる存在として,ユキムシの名で親しまれている.ユキムシの名前の由来はその腹部にある白い綿毛の存在に拠るが,ロウ様物質である綿毛の実体は不明であった.今回,札幌近郊で採集した160匹のユキムシから綿毛を採取し,その脂質成分の分析を行った.綿毛の主成分は,飽和の直鎖炭化水素で、炭素数21から34までが含まれる.他に少量の側鎖炭化水素(3-メチルおよび4-メチルアルカン)を含む.不飽和の炭化水素が検出されないこと,炭素数が偶数と奇数の炭化水素がほぼ1:1で含まれることなど,これまで知られている昆虫の体表脂質成分とは異なる結果が得られた.

なお,本研究は,札幌医科大学医学部2学年の一般教養科目「一般教育セミナー」において,学生の自主的研究課題として行なわれたものである.

 

■はじめに■

医学部2学年前期の人体解剖実習も終わり,いつの間にかユキムシが飛ぶ季節になっていた.そんな頃に始まった少人数制の一般教育セミナーは,自然科学系として、最後の一般教養科目になる.当初、「細胞死の生物学」というテーマを学ぶべく集まった我々5人だったが,「ユキムシの綿毛の正体って,一体なんだろう?」という誰かのふとした発言がきっかけで,なぜかユキムシについて研究することになった.

誰もが最初は軽い気持ちだった.

しかし,ユキムシについて知れば知るほどに,セミナーの本来のテーマはそっちのけで,ユキムシの不思議な魅力の虜になってしまった.

トドノネオオワタムシ,通称ユキムシは,わずか1年の間に幾度もの世代交代をし,その間に2種の寄生木,ヤチダモとトドマツの間を移動する.晩秋に現われる産生虫までは全てメス.その産生虫が生む有性虫で初めてオスが出現し,雌雄が結ばれて一年を終える,という不可思議な一生である1)

4月,ヤチダモの樹皮のさけ目に産みつけられたトドノネオオワタムシの卵が孵化し,長い世代交代の中の最初の世代が誕生する.生まれた子虫はヤチダモの樹液や若芽の液汁を吸って育ち,1ヶ月で4,5倍まで成長する.生まれてしばらくは白い綿が子虫の腹部を覆っている.メスしかいないこの世代は,30−50匹の子(2世代目)を産む.この2世代目も全てがメスである.6月,ヤチダモの樹液をすって成長した第2世代は脱皮して初めて羽を持った姿となり,故郷であるヤチダモを離れ,次の寄生木であるトドマツの根元にむかって飛んでいく.このときのユキムシも腹部は白い綿で覆われている.

トドマツの根で7-8世代をかさねるが(根っこ世代と呼ばれる),またメスばかりで,トドマツの根の養分を吸って育つ.この間に,アリとの共生生活が行なわれている.10月,トドマツの根元で大きく成長したユキムシは,羽根を持ち,真っ白い綿毛をまとった姿となって地上に現われ,風の無い日の夕方,再びヤチダモの木を目掛けて飛んでいく.我々が晩秋に見るユキムシはこの産生虫と呼ばれる世代である.

雪が降る前にヤチダモの木にたどりついたユキムシは,そこですぐに緑色とオレンジ色の子虫(有性虫)を生む.この緑の子虫が初めて出現するオスである.子虫は,エサを取る口さえ持たず,寿命はわずか一週間ほどである.この間に交尾をする.オスはすぐに力尽き,メスも1個の卵を残した後生き絶える.越冬した卵は,翌春,第1世代として再び現われることになる.

ユキムシの特徴は各世代を通して見られる白い綿状の分泌物である.我々はこの綿毛がどのような物質でできているのか,またその役割は何かに強い興味を持った.綿毛の脂質成分を調べた結果について報告する.

 

■材料と実験方法■

トドノネオオワタムシ (Prociphilus oriens) 160匹を,江別市大麻駅近くの住宅地にて採集した(2000年10月31日夕方). 氷で低温麻酔後,双眼実体顕微鏡下でピンセットを用い,綿毛を虫体部から分離した. 綿毛は腹部側面の節部分から規則正しく放射状に伸びていた.綿毛および綿毛除去後の虫体表それぞれの脂質成分は100%ヘキサンで抽出した.各ヘキサン抽出物を濃縮した後, 100%ヘキサンを展開液とした薄層クロマトグラフィーにかけ,ヨウ素ガス処理でスポットを検出した.マーカーにはワモンゴキブリの翅から抽出した炭化水素を用いた.続いてシリカゲルプレート上の炭化水素のスポットを掻き取り,100%ヘキサンで抽出後濃縮したものを,GC-MS(JEOL JMS AX-500)で分析した.キャリアガスにはHeを用い,2℃/min,200−310℃で,OV-1を含むカラム(長さ60m)により測定を行った.

 

■結果と考察■

1)          

Fig.1.薄層クロマトグラフィー

 
薄層クロマトグラフィーによる分析

 

ユキムシ綿毛と体表のそれぞれの脂質成分の薄層クロマトグラフィーの結果をFig..1に示した(Dittmer試薬で発色).マーカーとして示したゴキブリ体表では不飽和の炭化水素が主成分であるが (D画分),一方、ユキムシ綿毛では飽和の炭化水素のみが検出された(A画分).

綿毛除去後のユキムシではTGが主成分であり (B画分),飽和の炭化水素は少ない.これらの結果は、ユキムシ綿毛の脂質成分はゴキブリの体表やユキムシの体表成分とも大きく異なっていることを示している.

 

Fig.2.GC

 
 

 

 


2) GC-MSによる分析

 

ユキムシ綿毛に含まれる飽和炭化水素成分(Fig..1 A画分)をGCで分析した結果をFig.2に示した.綿毛の成分はほぼ一定の時間間隔で現われる大きいピークと,その間に見られる小さいピークから構成される.

MSを用いた分析の結果から,大きいピークは飽和の直鎖炭化水素(n-アルカン)で,炭素数21から34までが同定された.小さいピークは枝鎖の炭化水素で,3-メチルアルカンと4-メチルアルカンであることが示された.炭素数奇数と偶数の直鎖炭化水素,および3-メチルアルカンと4-メチルアルカンそれぞれについて1例ずつMSの結果を示した(Fig..3).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Table1.ユキムシ綿毛の炭化水素組成比

GC-MSによるユキムシ綿毛の炭化水素組成比

 

直鎖(n-alkane)

枝鎖(Methylakane)

炭素数

奇数鎖

偶数鎖

4-Methyl

3-Methyl

C21

1.20%

 

-

-

C22

 

4.95%

-

-

23

9.61%

 

-

-

24

 

12.00%

0.63%

0.26%

C25

11.36%

 

0.43%

0.41%

C26

 

11.50%

0.81%

0.41%

C27

9.68%

 

0.91%

0.44%

C28

 

6.40%

0.97%

0.91%

C29

5.33%

 

0.91%

0.63%

C30

 

4.15%

0.70%

0.55%

C31

2.46%

 

0.91%

0.38%

C32

 

1.70%

-

-

C33

1.15%

 

-

-

C34

 

0.60%

-

-

40.80%

41.31%

6.27%

3.97%

82.11%

10.24%

 

 
 

 


3)           綿毛の炭化水素組成比

 

ユキムシ綿毛を構成する各炭化水素の組成比をTable 1に示した.飽和の直鎖炭化水素については,炭素数21から34のものまですべて検出され,全体の82%はこの直鎖炭化水素によって占められる.炭素数24から26の直鎖が最も多く,そのため分布は右側(炭素数多)に裾野の広い,頂点が左側によった山型を示す.奇数鎖と偶数鎖の比率はほぼ1:1という特徴を持つ.

枝鎖のものは炭素数24から31の炭化水素について検出された. 4-メチルは3-メチルのものよりも多い傾向がある (1.58:1) が,ほぼ等量含まれる場合もある.全体としては10%ほどを占め,直鎖と枝鎖の比率はおよそ8:1である.

 

4) 他の昆虫との比較

 

ラセン虫(Cochliomyia hominivorax)の体表にふくまれる炭化水素は多種類あるが,飽和と不飽和の炭化水素の比率は約8:1,また,直鎖と枝鎖の比率は約4:6である2).不飽和や枝鎖の炭化水素が多く含まれる点で,ユキムシ綿毛成分とは全く異なっている.

ワモンゴキブリ血液中の脂質を運ぶタンパク質であるリポフォリン中には、炭素数25,26の飽和および炭素数27の不飽和炭化水素の3種類が存在する.中で,不飽和の占める割合が非常に高い (不飽和:飽和=7:3) 3).ゴキブリでは,リポフォリン中の炭化水素と体表の炭化水素の組成比が一致していることが知られており,ユキムシ綿毛はゴキブリ体表成分とも異なっていると推論できる。一方、トノサマバッタのリポフォリン中には炭素数25から39と非常に多様な飽和の炭化水素が存在するが,枝鎖が大部分を占めている (直鎖:枝鎖=1:8) 4). バッタでは、必ずしも体表の炭化水素組成比と一致しないが,構成成分的には,ユキムシ綿毛と大きく異なることがわかる.

以上の結果から,ユキムシ綿毛の炭化水素はこの種独特の組成をもつことが示された.この特異的な組成が,綿毛のふわふわした構造に影響を与えている可能性,また,化学的コミュニケーションなどに何らかの役割を持つ可能性など,今後さらに解析を行なう予定である.

 

 

■文献

1)           科教協北海道ブロック編著 『北海道自然の話』 新生出版

2)           Pomonis J. G. (1989) J.Chem.Ecology,15:2301-2317)ラセン虫

3)  Chino H. et al., (1981) J.Lipid Res. 22:7-15)ゴキブリ

4)  Katagiri C. et al., (1985) J.Biol. Chem.,260:13490-13495)バッタ