2005年5月30日

33年前の疑問が解決

 

札幌医科大学 教授 濱田洋文

 

第1章

2005年5月21日付けで「ほんとうに言いたいことは何か? その2」と題して以下の文章を書いた。

 前々回の文章で空にすわれた15の心に話が及び、また、前回の文章で国語の問題に関して話したので、そのつづき。私の15歳のころの想い出である。中3の終わり、3月頃、今から33年前のことだ。私の受けた高校入試の国語の問題に短歌が出題された。「――夜通し町を歩いていて――星白みたり夜更けにけり」、といった感じの短歌で、誰が読んでも夜空があかるくなって来たのでもう明け方近くだな、という意味に取れる。で、質問は、「どうして夜更けにけりと考えたか?」、という自明に近いような問題であった。夜通し町を歩いていて、「星が白んできた」から、「夜更けにけり」、としか書かれていないのだから、「星が白んできたから」に決まっている。誰が読んでも答えは同じだ。しかし、「どうしてこんな易しいことをわざわざ聴くのだろう?」、というわだかまりが残ったのが、今から思うと敗因であった。県立高校の入試問題だから、そんなに難しい問題も出るはずが無く、15分ぐらいで全部答えて、残った時間を延々と見直しに費やした。

よくよく考えると、夜という限りは、まだ夜明けではない。夜明けの前が一番暗いのである。とすると、星白みたり、なのに、夜なのはおかしいのではないか? 夜明けになれば、太陽がまだ視界に入らなくとも、東の空が太陽光を受けて「星白みたり」はあたりまえだが、すでに「夜明けになってしまった」のなら夜が更けたことになるのだろうか? 矛盾である。深く考えるうちに、私はこの短歌にもともと含まれている言葉の矛盾に気がついた。すでに答案用紙に書いてしまった「星白みたり」が、夜が更けたと思う理由として不適当だとしたら、では、ヒトはどうやって夜が更けた、すなわち、「時間が経過した」とわかるのであろうか? そして、その時、突然、中学生の私に「星の時間」がおとずれた。「星だ!」と気づいたのだ。地球の自転は24時間で360度。一時間で15度、北極星を中心にして星が回転している(ように見える)。従って、この短歌の作者が、たとえば、すでに4時間町をうろついていたなら、4時間前の星は、その時から60度回転し、明らかに「夜が更けた」ことを客観的に(!)悟ることができる。しかも、夜が更けた、などというアバウトな感想ではなく、たとえば、67.5度回転していれば、15度で割って、4.5時間、1時に店を出たのなら、今5時半、という極めて正確な有効数字二桁の数字で「時の経過」を認識し得るではないか。何も、「空が白んだ」などという不正確な観測結果を援用する必要がないのだ。夜間操業の工場や新宿兜町に進路を向けただけでも、「空が白む」ことはあり、夜が更ける客観的な理由とはならないだろう。しかし、星の運行に、時の経過を理解しないことは、あり得ない。中学生の私は、この答えを発見したとき、背筋がゾクゾクとするほど感動した。時間切れで書けなかったら困るので、すぐに必死で消しゴムで消して、正解を数式付きで記載した。国語の問題なのに、こんな総合力を試す試験だったとは! 短歌のような31文字の伝統的な様式の中に、このような科学的認識を行間に詠み込めるとは! 今にして思っても、恐らく、何万人もいた県立高校受験生のなかで、この正解に到達できたものは、私以外、ひとりもいなかったであろう。

しかし、試験が終わって、人々に私の星の喜びを伝えても、反応がおかしい。母は不安そうであった。父は我が子の非凡な才能に感激するかと思いきや、激しく訳もなく怒りだした。この高校受験の時を境に、父は私の進路選択に関して、非常に強い怒りをぶつけるようになった。私にとって非常に不幸な時期の始まりだった。私の星のセオリーは、友人からも両親からも理解されず、採点した高校の先生からも間違いなくバツを食らったことだろう。それでも高校には何とか合格したものの、私の才能は、発掘されることなく、隠れたままに埋もれていったのである。何となく、志賀直哉の清兵衛と瓢箪とか、ヘルマン・ヘッセの車輪の下とか、そんな物語を思い出させる世界に突入である。

 それから30余年、最近、スティーヴン・キャラハンの「大西洋漂流76日間」(早川書房)という漂流記録を読んだ。感動的な生還だ。この中では、星と太陽の位置を頼りにした正確な現在位置の計測が、生き延びるための鍵となる。星の回転は、生きていくために、極めて重要なのである。最近、私も小さな船の船長さんになる勉強をしている。船長は、広い海の上で、星の位置、太陽の位置から、正確な現在位置を決められなくてはならない。しかし、30年前の私と違って、今では計算力も理解力も衰え、海図に直線を引く手元にもピントが合わず、困っている。30年前に、たったひとりでも私の星のセオリーに共感してくれる仲間がいたら、今の私とは違った軌道を回る人生だったかも知れない。

 

第2章 2005年5月28日付け

2005年5月21日付けで「ほんとうに言いたいことは何か? その2」と題して上記の文章を書いた。が、今ひとつ自信が無く、ホームページにアップすることなく、インキュベートしていた。親しい友人に、上記のことを語ったところ、以下のような快刀乱麻のコメントをいただいた。彼氏は、極めて国語能力が高いのである。

 

 ―――君から、昔、そのエピソードを聞いたことがあるが、その時は、そこまで誤解しているとはわからなかった(ので、正解を述べることはしなかった)。

 「夜、町を歩いていて――星白みたり夜更けにけり」という短歌、星白みたり、ということは、夜空が暗さを増して、星が(相対的に)明るくなった、という意味。たとえば、夕方から飲み屋に入って、いっぱいやって店を出てみると、(その間の数時間の経過により)夜空が暗くなって、星が明るく光り、夜が更けたのだな、という意味が明らか―――

 

 と教えていただいた。だから、夜通し町をぶらついていたのではなく、夕方からたとえば夜の8時かせいぜい10時ごろまで、極めてあたりまえの時間帯でこの短歌は終結しているのであり、深夜の1時から歩き始めて、明け方の5時までの強行軍は、この短歌のどこからも読み取れない、という訳だ。そもそも、健全な中学生に高校入試で読ませる短歌として、良い子の眠っていなければならない時間帯を詠んだものが出るわけはないのだ。このコメントを聴いた瞬間に、私は33年間の迷妄から一挙に目覚めたのである。「星白みたり」を、夜空が白く明るくなった、と直感したところに、大きな間違いがあり、「星白みたり」は、夜空が暗くなったために相対的に星が明るさを増したのであった。これならば、田舎の暗い夜であろうが、新宿兜町であろうが、北極圏の10月であろうが、成り立つはずだ。(ただし、南極の12月の白夜に星がどのように見えるか、経験が無く、わからないが。)

 33年後になって、やっと積年の疑問が解けた。今、考えると、このような間違いをもう二つ三つ重ねれば、県立高校の入試などは危なかったかも知れず、ずいぶん危険な15の春だったことになる。

 恥多き人生でもこうやって「生きてて良かった」こと、教えてもらえる友がいることの幸せ、など、しみじみ感じるのである。

 

 それにしても、私はどうして、たとえ短歌の解釈の中でとはいえ、無理矢理、夜通し歩き続けなくてはならなかったのだろうか? 今となっては、その正確な心理の機微の推論は困難である。が、ジェームズ・ディーン主演の「理由無き反抗(Rebel)」、あれと同じ世界がそこにあった、と思う。

 そう、反抗である。朔太郎の代わりに、公園のベンチに私がナイフで彫り込むとしたら、このRebel。30年前の私は、決して、出題者の望む答えなど、書きたくなかった。(明瞭に、正解を書きたくないと意識していたわけではないが、正解を書こう書こうとして考えれば考えるほど、出題者の意図に反抗してゆくのである。「エデンの東」の父と子のように。)

今の私の研究も、一面、強烈な反逆精神で貫かれている。私は、決して、N誌やS誌のエディターが期待しているようなジグソーパズルの「missing link」を見つけた、という論文など、書きたくない。誰が同じジグソーパズルで遊んでやるものか。

「いつも、

おいらは、反対の方角を思っていた。」

癌細胞が暴れたいようには、患者の中で暴れさせてはやらない。決して、好き放題にはさせない。

 気づかれない方も多いかも知れないが、私の札幌医科大学のオフィスには、ずっと阿修羅像の顔写真を飾ってある。興福寺の国宝、乾漆造の阿修羅像。3面の、憂いを帯びた少年の顔である。16年前、奈良旅行の折りに手に入れ、ボストンへ渡り、ホワイトヘッド研究所の自分のベンチにずっと貼り付けていた。癌研で8年、札幌で6年。ずっと私と同じ部屋にいる。この像を見ると、私は、賢治の「春と修羅」を思い出す。そして、何故か、賢治も、夜通し歩き続ける人であった。

 


「近況と話題」目次
2005年 5月30日 ほんとうに言いたいことは何か?

2005年 5月13日 濱田先生が臥薪嘗胆を忘れる

2005年 4月11日 10年目の節目を迎えた、私の標的化遺伝子治療

2005年 3月23日 南氷洋の「洋」
   

2005年 3月18日 短くまとめる、その3

2005年 3月18日 産学連携フォーラム 抄録


2004年 12月13日 腫瘍特異的な標的化ベクターの開発

2004年 10月27日 1型糖尿病の発症を遺伝子治療で予防する

2004年 9月24日  ピノキオの脳を持つ男

2004年 9月22日  大風が吹くとウルシにかぶれる

2004年 9月17日   免疫沈降を巡る今昔物語

2004年 9月3日    短くまとめる続報

2004年 8月25日  高機能素材ウェアの飛躍的発展

2004年 8月23日  かぜエンテロウィルスのコクサッキーウィルスA21の全身投与によるヒト悪性黒色腫の治療


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