2005年9月2日

エサトリに追われつつ、少年の成長の物語で予習

 

2005年8月23日  濱田洋文

 

 先日(2005年の5月上旬)、真駒内青少年会館で行われた、札幌の野外教育財団の催しの折りに、竹田津実さんの講演を聴いた。もともと私は竹田津さんのファンでもあり、写真集は、

写真集 キタキツネ物語 平凡社 1995年

跳べキタキツネ 平凡社 1978年

今日は狐日和―83匹のキタキツネ物語 北海道新聞社 1998年

写真記 野生動物診療所 森の獣医さんの動物日記 偕成社 2004年

など、いろいろ持っていて、ラボに飾っていた。さらに、10年ほど前に放送されたNHK「生き物地球紀行」の「キタキツネの子育て」のビデオを録画して何度も見返している。竹田津さんたちが作製された昭和50年代の映画をもとにしてNHKが編集したテレビ番組だ。一昨年は小清水町の原生花園などを見に行く旅行も敢行し、あのキタキツネの親子の子孫たちはこの辺りに今も住んでいるんだろうな、と思ったりした。夏の宮丘公園(札幌の西部)などでいそいそと歩いてゆくキツネを目撃するたびに、「この時期のキツネの父親は一日中エサトリに追われます」などのナレーションそのままが、宮崎ヨシコさんの声で頭の中に響いてくる、ほどだ。その竹田津さんの 講演を初めて聴けるというので、とても楽しみだった。

 さて、竹田津さんのお話は、「子供とは何か」「子供はどうやって人間になるのか」というような話であった。

 竹田津さんの独壇場ともいえるキタキツネの成長のお話もとても興味深かった。生後間もない、まだ相手を傷つけるほど牙や爪が発達していない一定の時期に、兄弟姉妹でしっかり戦いごっこをしておくことが非常に大切。その大切な時期に病気などで隔離されていたため戦いを経験していない子狐たちを、後からいっしょにすると、兄弟姉妹同士の戦いに手加減ができず、自然の子育てでは決して見られない大怪我をしてしまうという。

 ところで、竹田津さんの動物診療所に、病気や怪我した動物を連れてくるのは、まず例外なく、小学5年生以下の子供か、60歳以上の年配者であるという。その中間、すなわち社会人(人間)たちは、社会的な配慮ゆえに、瀕死の動物たちを診療所に担ぎ込んだりはできなくなってしまう。私は、捨て子の泣き声を聞きながらも「袂より食物投げて」やるだけで旅を続けていく芭蕉の姿、「猿をきく人すて子にあきのかぜいかに(野ざらし紀行)」の場面を想い浮かべた。小学5年生以下の子供たちには、こんな大人の配慮はない。ただただ動物病院に連れて行けば助けてもらえるとナイーブに思って連れてくる。

 さて、竹田津さんによると「人間」の大人になる前の、小さな子供たちは極めて「動物的」、きわめて生命力の強い生き物であるという。そして、小学5年生から6年生の時期を境に、子供は社会的な存在、すなわち「人間」へと移ってゆく。そして60歳を超えた年配者は、社会から距離を取れるようになり、再び子供のような存在へとかえってゆく。

 竹田津さんの、子供たちとの実践的関わり合いが生かされた「子育て論議」、とても感銘を受け、楽しかった。

 さて、私も最近、この小学5年生ぐらいを変調点として成長してゆく子供たち、少年少女たちのことを深く見つめてみたくなり、多くの本を手に取っている。そして過ぎ去りし自分自身のその頃のことを振り返ることもある。

 多くの名作が11、12歳ごろの子供たちを主人公としている。

 たとえば、那須正幹さんのズッコケ三人組シリーズ。25年間にわたるロング人気シリーズである。ハチベエ、ハカセ、モーチャン、6年生の3人組は、25年間にわたって、6年生のままで大活躍する。だから、5月の連休や、夏休みに繰り広げられる大事件たちを、さまざま、何回も楽しめる。主人公たちの年齢を小学6年生に設定してあることで、ストーリーが作りやすく、深みも面白みもバラエティーも出しやすく、同年代の少年少女だけに読者を限定することなく、下級生も大人もそれぞれに楽しめる物語を書き続けられるのだと思う。昨年の夏49冊目を購入したおりに、とうとうこのズッコケシリーズが50巻完結になると知った。非常に寂しく思った。中学生シリーズに発展解消すれば良いと、密かに期待していたのだが、昨年暮れの「卒業式」、第50冊をもって、シリーズ完結となってしまった。那須さんの次のシリーズも楽しみに待っている。

 上記、「ズッコケシリーズ」も、つい最近、ここ数年で50冊を読破したのであるが、当然、私の子供時代にこのようなシリーズはなかった。私の少年時代に読んだ「少年の成長の物語」というと、下村湖人「次郎物語」、山本有三「路傍の石」、など、思い出に残る読書ではあるが、40年前の当時でさえ、昔のもの過ぎた。本も、私のために買ってもらったものではなく、父の書庫に並んでいた茶色に変色した文学選集の中に見つけたものだ。字が小さくて、読むのが極めて難儀であった。私の少年時代、正直、余り多くを読む機会に恵まれなかった。さらに、とても多くの良い作品がこの20-40年の間に出版されているはずであり、気の遠くなるほどの真空地帯が私の過去に横たわっていることになる。初心に返って温故知新、というよりはむしろ、竹田津さんの指摘されているように、「60歳を超えて再び子供のような存在へとかえってゆく」ための予習を兼ねた発展的読書ということもできるのかなあ。

 以下は、私が最近読んだ、成長してゆく少年少女を主人公にした物語のリスト。

塩野 米松 藤の木山砦の三銃士 小学館 1995年

笹山久三「四万十川 あつよしの夏」河出書房新社 昭和63年

笹山 久三 四万十川〈第2部〉とおいわかれの日々に 河出書房新社 1989年

笹山 久三 四万十川〈第3部〉青の芽吹くころは 河出書房新社 1991年

今江祥智 ぼんぼん―ぼんぼん 第1部 理論社の大長編シリーズ  理論社 1973年

湯本 香樹実 夏の庭―The Friends 新潮文庫(1994/03) 新潮社

灰谷健次郎 兎の眼 フォア文庫 C 55 1983年

灰谷健次郎 「太陽の子」より、以下引用。 <ふうちゃんは大きく眼を見開いた。いつかギッチョンチョンの家で見た集団自爆の写真の中に、ろくさんがいたということではないか。

「そして、みんな死んだんだ」

 ふうちゃんが吐き気をもよおしたあのむごい光景が、今またそこにあった。

 ふうちゃんはしっかり眼を見開いていた。悲鳴をあげたり吐いたりするのではなく、今しっかりとその光景をみなくてはならないと、ふうちゃんは思った。

 ろくさんがキヨシ少年の苦しみを分けて担おうとしたように、今ここでろくさんの話に耳をふさいだり、眼をそらしては沖縄の子ではない、ギッチョンチョンのいう「てだのふあ」(太陽の子)ではないとふうちゃんはけんめいに耐えた。> 灰谷健次郎 太陽の子 昭和53年理論社、昭和61年新潮文庫、私の持っているのは平成10年角川文庫版(上記引用は383ページ)。

  


「近況と話題」目次

2005年8月31日 少年の成長の物語: 四万十川 あつよしの夏

2005年8月12日 夜と霧のパラドックス

2005年8月 3日塞翁が馬を適用して樹立された「抗体医薬を実用化するための副作用予測実験システム」(特許出願計画考慮中)

2005年 8月 3日 私の部屋に「猫町」を誘致

2005年 6月24日 怪力乱神を語ろう: 肺癌プロジェクト開始

2005年 6月 3日 石津謙介さんとフライデーカジュアル

2005年 6月 3日 33年前の疑問が解決


2005年 5月30日 ほんとうに言いたいことは何か?

2005年 5月13日 濱田先生が臥薪嘗胆を忘れる

2005年 4月11日 10年目の節目を迎えた、私の標的化遺伝子治療

2005年 3月23日 南氷洋の「洋」
   

2005年 3月18日 短くまとめる、その3

2005年 3月18日 産学連携フォーラム 抄録