2004年8月27日
Oncolytic virus
新しい分子生物学の手法
札幌医科大学 分子医学研究部門 濱田洋文
ポイント
1. 細胞の癌化の機構と、細胞内でのウイルス増殖の分子メカニズム間に、共通の分子経路がある。
2. これを利用して、癌細胞で特異的に増殖する殺腫瘍ウイルス(oncolytic virus)を作製することが可能である。
3. 殺腫瘍ウイルスを腫瘍選択的に感染させるストラテジーにより、高い治療効果を得ることができる。
キーワード
遺伝子治療 アデノウイルス コクサッキーウイルス ポリオウィルス 単純ヘルペスウイルス
はじめに
殺腫瘍ウイルス(oncolytic virus)を用いた遺伝子治療のアプローチは、進行したがんに対する未来の治療法として期待されている(文献1,2)。細胞の癌化の機構と、細胞内でのウイルス増殖の分子メカニズム間に、共通の分子経路がある。これを利用して、ウイルスタンパクの機能の一部を欠損した変異型ウイルスを工夫すると、標的とする特定の細胞中でのみ選択的に増殖するウイルス(conditionally replication-competent virus, CRCV)、すなわち、がんの治療に使える殺腫瘍ウイルス(oncolytic virus)になる。欧米では、進行がんを対象として、このような制限増殖変異(CRCV)型のアデノウイルスや単純ヘルペスウイルスによる遺伝子治療の臨床研究が進められ、成果が得られつつある。ほかにもレオウイルス、ポックスウイルス、麻疹ウイルスなど、さまざまなウイルスをCRCVとして利用する試みが報告されている。
癌の遺伝子治療を成功させるためには、全身に散らばって転移している腫瘍を特異的に標的化できるベクターが必要である。従来、治療ベクターの腫瘍内投与が行われてきたが、そのような局所投与法では転移腫瘍を持つ患者の治療には実用的でない。以下に紹介するようなポリオウイルス、エンテロウイルスやアルファウイルスなどは、全身投与できる可能性があり、有望である。
1 VAI(virus-associated RNA I)変異を併用すると、ras変異腫瘍で選択的に増殖するアデノウイルスとなる
私たちは、標的細胞に対して高い特異性を持ち、しかも高効率で遺伝子を導入・発現させることが可能な、新規アデノウイルスベクターの開発を目指している(文献3)。このようなベクターに、細胞増殖・アポトーシス関連遺伝子・免疫制御遺伝子などの治療遺伝子を組み込んで、がんに対して高い治療効果を得ることを目的としている。アデノウイルスでは、PKRに結合するもののPKR活性化は起こさない小RNA、VA (virus-associated) RNAsを産生して、PKR活性化をブロックしている。VAI RNAをコードする部位に欠損を持つ変異型アデノウイルスを用いることにより、Rasの活性化されたヒト膵癌細胞などでは増殖がみられるが、Rasの正常な正常細胞では増殖のないベクターを作ることが可能である(文献4)。E1A変異とE1B55k欠失ないしVAI(virus-associated RNA I)変異を併用すると、腫瘍特異性がさらに高まった殺腫瘍アデノウイルスとなる(文献5)。また、次に紹介するようなポリオウイルスのCD155特異性など自然に存在する各種のウイルスの細胞選択的な感染性は、比較的簡単にアデノウイルスベクターに移植してくることの可能な有力候補であろう。
2 かぜウイルスとポリオウイルスのキメラウイルスが悪性神経膠腫を殺す
CRCVとして注目されているものでは、ヒトの鼻風邪ウイルスのrhinovirusの内部リボソームエントリーサイト(IRES)をもつポリオウイルス、PV1(RIPO)がある。ポリオウイルスは、エンベロープを持たないプラス鎖RNAのピコルナウイルスの一つで、免疫グロブリンスーパーファミリーのCD155分子を受容体として細胞に感染する(文献6)。野生型のポリオウイルスは、CD155の発現している細胞に付着して入り込み、死滅させる。CD155は脳の発達の間にだけ作られ、十分に成熟した脳では消える。一方、CD155はヒトの悪性神経膠腫(グリオーマ)で発現しているため、CD155は、成人の脳ではグリオーマ患者のがん細胞にのみ存在する。CD155は、ポリオウイルスにとっては格好の目印となるため、ポリオウイルスがグリオーマに特異的に感染するウイルスベクターとして使える可能性がある。しかし、野生型のポリオウイルスは、ヒトの中枢神経系の運動ニューロンにも感染し麻痺や死をもたらす。従って、ポリオウイルスを利用するためには、まずウイルスの病原性を弱めなければならない。 Gromeierらは、かぜは起こすが神経細胞には感染できないヒトライノウイルス(ハナカゼウイルス)のある領域(5’非翻訳領域のIRES、internal ribosomal entry site element)を野生型のポリオウイルスのIRES配列と入れ替えて挿入し、ずっと弱毒化されたキメラウイルス PV1 (RIPO) を作った(文献7)。このウイルスPV1 (RIPO) はポリオを起こさないが、グリオーマを破壊する。 PV1 (RIPO) はマウスのグリオーマ治療動物実験モデルで著効を示した。安全性の評価では、14匹の霊長類に感染させたが、ポリオと関係する虚弱などの症状の兆候は、どの霊長類にも見られなかった。CD155受容体の発現の特異性による感染選択性と、ライノウイルス由来のIRESを持つウイルスがグリオーマでだけ増殖するという制限増殖性とによって、このポリオウイルスベクター PV1 (RIPO) は、グリオーマに対し選択性の高いベクターになっている。さらに安全性を高める手段としては、グリオーマ特有の遺伝子異常、たとえばp53などを標的とするウイルスタンパク(図1参照)の遺伝子変異をポリオウイルスのゲノムに追加した変異型とすると良い。発想は、アデノウイルスのE1B55K欠損型(総説は文献3,5)の場合とほぼ同様で良いだろう。グリオーマでp53の変異が見られるのは50%程度であるが、これによって腫瘍特異性が増し、安全性は向上する。
上に紹介したポリオウイルスベクターは、グリオーマをターゲットとした制限増殖型ウイルスベクターという点で、既に臨床研究が開始されている単純ヘルペスウイルスを利用した抗腫瘍ベクター(総説は文献8)と類似している。HSVベクターの場合も問題になるのは、神経毒性の副作用である。
3 かぜエンテロウイルスのコクサッキーウイルスA21を全身投与してヒト悪性黒色腫を治療できる
Shafrenらは、メラノーマの悪性進行度のマーカーとして知られている細胞間接着分子ICAM-1と補体制御タンパクのDAF(decay-accelerating
factor)に着目した(文献9)。細胞表面のICAM-1とDAFのコンビネーションで、ヒトのかぜエンテロウイルスのコクサッキーウイルスA21(CAV21)のレセプター複合体が形成される。DAFはウイルスが膜に付着する受容体として働き、ICAM-1はウイルスの取り込み以降のプロセスをつかさどる。CAV21は、上気道症状(かぜ)を起こすウイルスとして以前から知られており、ヒトボランティアによる研究で、重篤な症状は起こらない(文献10,11)。Shafrenら(文献9)が調べたヒトメラノーマ細胞株6種は、ICAM-1とDAFを大量に発現していた。メラノーマ細胞株にCAV21をMOI10で感染させると、すべての細胞株で強い細胞死とウイルス増殖が得られた。メラノーマ患者の末梢血リンパ球と初代培養メラノーマ細胞にCAV21を感染させると、メラノーマは完全に細胞が壊れるのに対して、リンパ球では細胞死はほとんど見られなかった。末梢血リンパ球にCAV21の感染と増殖が見られないのは、ICAM-1/DAFが発現されていてウイルスの接着は十分に起こるにもかかわらず、ウイルスの取り込みないしそれ以後の増殖に重要なプロセスのどこかが進まないためであろうが、詳細な分子メカニズムは解明されていない。
動物実験モデルでは、腫瘍内、腹腔内、ないし静脈内投与など、どの投与法を用いても局所のゼノグラフトでCAV21ウイルスが増殖し、治療効果が得られた。また、複数の皮下腫瘍を持つマウスの1カ所の腫瘍に局所投与しただけで、他の腫瘍にも感染が広がり、治療効果が得られた。この著明な治療感受性は、メラノーマがICAM-1/DAFレセプターを高発現することと、感染後は大量のウイルスが産生され、血流に乗ってウイルスが運ばれ、遠隔転移した腫瘍にも感染が広がるためである。CAV21は、もともとヒト風邪ウイルスであり、健常人へ感染したときの症状は軽微である(文献10,11)。従来の化学療法や放射線療法、免疫療法などが効かないメラノーマ患者に対して、有望な治療法になるかもしれない。
4 シンドビスウイルスによる転移性腫瘍の標的化治療が可能である
シンドビスウィルスは、トガウィルス(Togaviridae)ファミリーのアルファウィルス(alphavirus)に属するRNAウィルスであり、以下のような特徴がある。a)哺乳類や昆虫の細胞に対して極めて高い遺伝子導入効率が得られる。 b)感染した細胞のサイトプラズムのなかでRNAが増幅し、105ものRNA分子が転写され、感染後数時間以内にきわめて高い遺伝子産物の発現が得られる。 c)RNAゲノムのウィルスで、ライフサイクルの中にDNAフェースを持たないため、ウィルスゲノムが染色体に組み込まれることによって起こる副作用や危険が回避できる。 d)RNAゲノムは約12kbで、比較的小さく、遺伝子操作が容易である。増殖できないタイプの安全なベクターを作ることができる。 e)血液脳関門をも通過するような、血液によって運ばれる(blood-borne)ウィルスであるため、体内のほとんどの細胞に到達することができる。癌の遺伝子治療ベクターを開発する上で特に注目したいのは、この最後のポイントである(文献12,13)。
シンドビスウィルスは、受容体として、67キロダルトンの高親和性ラミニン受容体(High-affinity laminin receptor、LAMR)を経由する(文献14,15)。Tsengらは、血液で運ばれるシンドビスウィルスを全身投与し、転移した腫瘍細胞に特異的に感染させ、アポトーシスを誘導できることを示した(文献12、13)。LAMR1遺伝子を高発現するES-2ヒト卵巣癌細胞のSCIDマウス腹腔内播種モデルを作り、ベクターを腹腔内投与すると、ベクターは転移播種した腫瘍細胞に集積した。腫瘍増殖に対する治療効果はSindbis/lacZでも見られたが、Sindbis/IL-12でより顕著な治療効果が得られた。自然発症線維肉腫の治療モデルでも、ウィルスは腫瘍に選択的に集積し、治療効果が得られた。シンドビスウィルスによる細胞傷害は、ウィルスが感染した哺乳類の細胞でアポトーシスが引き起こされるためであり(文献13)、外来性の自殺遺伝子などを入れる必要はない。LAMRは多くのヒト癌細胞で正常細胞に比べて発現が高いことが報告されているが(文献16)、ヒトの癌治療にどれだけ有用かに関しては、今後、検討が必要である。
おわりに
現時点では、腫瘍選択的な制限増殖ウイルスベクターの開発は始まったばかりで、臨床研究の試みでは未だ大きな成果は得られていない。しかし、この方法は、ウイルスの感染と増殖の特質(図1)と腫瘍細胞の由来組織やがん化の機構との特異的な関わり合いを巧みに利用したものである。今後、長い将来にわたって遺伝子治療にウイルスベクターが役割を持ち続けるとすれば、このアプローチが有力な候補になると考えられる。
癌を正常細胞と見分けて追いかける選択性と追従性を備え、効率的に癌細胞を殺すことができる安全性の高いベクターの開発を目指してゆくうえで、全身投与可能なベクターを用いて、たとえばCD155、ICAM-1/DAF、LAMRなどの好適な腫瘍標的候補をねらってゆくのは、期待のできるストラテジーである。ただし、ウィルスの再投与による中和抗体の出現、それに伴う副作用の可能性などに関しては、検討が必要である。 本来の受容体と結合しないウイルスキャプシド変異型を、遺伝子工学的に容易に作成できる。どのようなリガンドを工夫して標的に対して選択性の高い結合を獲得するかが今後の研究の焦点となる。
参考文献
図1 ウイルス遺伝子とがん抑制遺伝子p53ネットワーク。多くのウイルスは、被感染細胞のレティノブラストーマ蛋白(Rb)とE2F1を初めとするE2Fファミリー転写因子との相互作用をブロックするような蛋白(アデノウイルスE1Aなど)をコードしている。これによって、E2F-1などがRbから離れて、細胞増殖に必要な標的遺伝子を活性化する。しかし、これが同時にp14ARF蛋白の産生を引き起こし、MDM2活性(p53の分解を高める)を阻害する。その結果としてp53の安定化をもたらし、細胞とウイルス両方の増殖が遅くなる。そこでウイルスは、p53の機能を阻害するような蛋白(アデノウイルスE1B55Kなど)を作って、細胞の防御機構に対抗する。
(Vogelstein B., et al. Nature 408: 307-310, 2001. より改変。濱田洋文 細胞工学 20: 1216-1221, 2001. より引用。)