制限増殖アデノウイルスベクター: がんの遺伝子治療への応用 ---------- サマリー E1B55Kタンパクを発現しない欠損型アデノウイルスでは、正常細胞では増殖することができないが、p53が欠失した腫瘍細胞では野生型と変わりなく増殖することができるため、腫瘍選択的増殖が可能になっている。欧米では、進行した頭頚部がんを対象として、このような制限増殖
(restricted replication-competent)
アデノウイルスによる遺伝子治療の臨床研究が進められている。制限増殖ウイルスは、隣接した腫瘍細胞に遺伝子を増幅して導入できるため高い遺伝子導入効率が得られる。今後、ウイルス外被に修飾を施すことによって、腫瘍だけに感染する標的特異性を付加できれば、腫瘍だけを選択的に傷害できる安全性の高い遺伝子治療のベクターになるであろう。 はじめに ウイルスベクターを用いた遺伝子治療のアプローチは、進行したがんに対する未来の治療法として大いに期待されている。しかし、現時点では進行がんを治癒に導くことが期待できるほどの高い治療効果を示す方法は確立されていない。一番のハードルとなっているのは、(A)100%の腫瘍細胞に遺伝子を導入できる効率の高い、(B)腫瘍だけに感染する特異性をもっている、(C)腫瘍だけを選択的に傷害できる安全性を備えている、3拍子そろったベクターが開発できていないことにある。 細胞の増殖は、細胞周期調節遺伝子や、腫瘍抑制遺伝子・腫瘍遺伝子などの一連の遺伝子群のシグナル伝達機構によってコントロールされている。がんではこのプロセスに異常が生じて正常のコントロールを逸脱した細胞増殖が起こっている。アデノウイルスやヘルペスウイルスをはじめ多くのウイルスは宿主細胞の増殖の機構を巧みに「利己的に」コントロールすることによって、自己のウイルス粒子の増殖を有利に進めている。正常細胞内でのウイルスの増殖に必須なウイルス由来の分子Xの細胞内標的分子aが、細胞のがん化の過程を通して異常なa'変異分子となっているというような状況では、Xの機能を適切に修飾したX'ウイルスを作製すれば、a'変異を持つがん細胞に対して選択的な制限増殖性のウイルスとできるはずである。臨床応用としては、患者のがん細胞がa'遺伝子異常を持っているクローン由来であることを分子レベルの診断であらかじめ確認したのちに、X'修飾ウイルスで治療すれば期待通りの選択的治療効果が得られる、というストラテジーがなりたつ。 このX'修飾の制限増殖ウイルスは、増殖型であるため、互いに隣接した腫瘍細胞に遺伝子を増幅して導入できる高効率ベクターになり得る(図1)。さらにウイルス外被(キャプシドないしエンベロープ)に修飾を施すことによって、腫瘍だけに感染する特異性を付与できるようになるであろう。このウイルスベクターに細胞傷害や免役誘導の機能遺伝子の選択的発現系を組み込めば、腫瘍だけを選択的に傷害できるようになり、一層の安全性の向上が得られるはずである。 1 E1B55Kを欠失した制限増殖アデノウイルスベクター(ONYX-015、AxE1AdB) ONYX-015 (dl1520) は、1996年にBischoff
ら1)によって、がんの遺伝子治療に用いる選択的増殖アデノウイルスとしての応用が報告され注目をあびた。もともとは1987年に
Barker and Berk 2) によって作製されたdl1520
変異株である。アデノウイルスの増殖に必須のE1Bによってコードされる55キロダルトンのタンパク(E1B55K)を欠損させた欠損ウイルス
(dl1520) である。 Bischoff ら1,3)によれば腫瘍抑制遺伝子p53を欠損した細胞、すなわちp53欠損腫瘍細胞で、特異的に増殖して殺細胞効果を示す。その理論的根拠としては、以下のようなシナリオが考えられている。すなわち、図2に示すようにE1Aタンパクは腫瘍抑制遺伝子RbのE2Fとの結合を阻害する。Rbから解き放たれた活性化E2Fの働きによって細胞はS期へ移行しようとする。しかし同時に、E2Fはp19ARFの活性化を介してp53の活性化も促進するため、p53の機能が正常に保たれている細胞でE1Aを高く発現した場合には、S期に移行する前にアポトーシスに陥り死滅する。アデノウイルスの感染によってE1Aとともに発現したE1B55Kタンパクはp53と結合してp53のアポトーシス誘導機能をブロックするので、E1B55Kタンパクを発現した感染細胞は、E1Aによって引き起こされるアポトーシスの経路に陥ることなくS期へ移行する。その結果、非欠損型のアデノウイルスは、p53の異常に関係なく細胞内で増殖することができる。一方、E1B55Kタンパクを発現しない欠損型アデノウイルスONYX-015では、p53がもともと欠失した細胞すなわち腫瘍細胞では非欠損型と変わりなく増殖することができるが、p53が正常な細胞すなわち正常細胞では増殖することができない。このようにして、ONYX-015は腫瘍選択的な増殖が可能になっている。 このシナリオは大変魅力的である。ただ、私たちがONYX-015とほぼ同等のAxE1AdBという制限増殖型のアデノウイルスを用いて、増殖と抗腫瘍活性効果を各種の培養腫瘍細胞株で検討してみたところ、必ずしもp53のステイタスと明確な相関が見られなかった。つまり、p53が野生型の腫瘍細胞でもAxE1AdBの増殖が認められるものも多くみられるし、p53の変異が存在する腫瘍細胞でもAxE1AdBの増殖が得られないものも多い。このことは、アデノウイルスの増殖と宿主細胞の増殖制御の相互作用が図2で示したような単純な理解で一元的に説明できるものではなく、アデノウイルスの増殖機構と各種の腫瘍細胞に特有ながん化のメカニズムとが複雑に相互作用していることを示唆する4,5)。アデノウイルスの増殖機構、各種の腫瘍細胞特有のがん化プロセス、両者の関わり合い、これらは十分に理解されておらず、今後の重要な研究課題である。その理解に基づいて、E1B55K欠損アデノウイルスよりもさらに有効で特異性の高い制限増殖アデノウイルスを開発してゆく必要がある。 欧米では1996年から制限増殖アデノウイルスONYX-015を用いた遺伝子治療の臨床研究が開始されている6ᬢ9)。対象は進行した頭頚部扁平上皮がんの患者である。アデノウイルスは、腫瘍局所に直接注射による投与を行う。第1相、第2相の臨床治験で有望な結果が得られたため、現在、頭頚部腫瘍の局所注入療法について第3相試験が計画されている。制限増殖アデノウイルス単独での治療の場合は、腫瘍細胞に対して細胞傷害活性を示すのは主に、E1Aの発現から始まる一連のアデノウイルス増殖に伴うアポトーシス誘導の機序と考えられる。化学療法や放射線療法との併用、サイトカインを用いた免疫療法との併用など、さまざまな試みがなされつつある。 2 キャプシド変異型ウイルスベクター 制限増殖ウイルスの外被キャプシドタンパクに修飾を施すことによって、腫瘍だけに感染する特異性を付与できれば、一層の感染効率の向上と腫瘍選択性の向上が得られるはずである。さらにその結果として、安全性の向上が期待される。非がん部の正常細胞への不必要なウイルス感染による副作用が抑えられるためである。 腫瘍だけに感染する特異性を付与する方法としては、大きく分けて二つのアプローチがある。ひとつは、ウイルス表面抗原と結合する抗体と標的腫瘍細胞の表面抗原を認識する抗体を融合した2価のscFv抗体分子
(bispecific single chain variable region
antibody fragment) などを用いてウイルス表面と腫瘍表面を架橋する方法である。腫瘍表面上に特異的に発現している受容体分子に対するリガンドとウイルス表面抗原に対する抗体とを化学的に架橋して、これを用いてウイルス表面と腫瘍表面を架橋することも可能である。もうひとつの方法として、ウイルスゲノムの外被キャプシドをコードする部分を遺伝子工学的に改変して腫瘍だけに感染する特異性を付与するアプローチがある。この方法は、ウイルスが高いタイターで作製できさえすれば、あとはウイルス単独で投与すればよいため、抗体などによる架橋法に比べて製剤化の手順が単純である。特に制限増殖型のウイルスとして効果を発揮させるためには、遺伝的に改変したウイルスを用いることが必須となる。 特異性を付与するための腫瘍表面の標的分子の候補としては、インテグリン分子群、ヘパラン硫酸などの糖鎖や各種の糖タンパク、ErbB-2やEGF受容体などの増殖因子受容体、メラノサイト刺激ホルモン(MSH、melanocyte
stimulating hormone)やガストリン放出ペプチド(GRP、gastrin
releasing peptide)などのペプチドホルモンの受容体、などが試みられている。そのほかに、B細胞やT細胞などの免疫担当細胞の分化抗原は良い標的候補である。また、B細胞やT細胞由来の腫瘍を持つ患者それぞれの腫瘍細胞固有のイディオトープを認識する抗体やリガンドなどは非常に特異的な標的化を可能とするであろう。オーダーメイドの治療法となるという点を含めて、近未来の理想的治療法となる可能性もある。 キャプシド変異型アデノウイルスベクターによる標的特異的な遺伝子導入に関しては、さまざまな角度から盛んに研究が進められている10−13)。インテグリン分子群を標的とするRGDリガンド変異型アデノウイルスと、ヘパラン硫酸などの糖鎖を標的とするK20変異型アデノウイルスについて、以下に応用例を紹介する。 3 ファイバー変異型アデノウイルスベクター RGDペプチドモチーフをファイバーのHIループに含むF/RGD変異型アデノウイルス(図3a,b参照)は、RGDモチーフの結合するインテグリン分子を介して細胞に吸着される。この吸着はヒト5型アデノウイルスの受容体CAR
(coxsackievirus adenovirus receptor) に依存しない。CAR受容体はヒトの細胞に広く分布するが、発現量は組織によってまちまちである。たとえば、ヒトの皮膚由来の線維芽細胞などではCARの発現は非常に少ないため、アデノウイルスを用いても十分な遺伝子導入効率が得られない。CAR受容体は多くのがん細胞でも十分に発現しており、アデノウイルスによって高い遺伝子導入効率が得られることが多い。しかし、悪性黒色腫、口腔領域の扁平上皮がんなどではCARの発現は極めて低く、通常のアデノウイルスの使用では十分な遺伝子導入効率が得られない。ところが、ヒトの皮膚由来の線維芽細胞、悪性黒色腫、口腔領域の扁平上皮がんなどでは、F/RGD変異型アデノウイルスを用いると高い遺伝子導入効率が得られる。これらの細胞では、インテグリン分子が十分に発現しており、インテグリンを介した高い吸着効率が得られるためである。自殺遺伝子導入療法など、高い遺伝子導入が必要な遺伝子治療に関しては、F/RGD変異型アデノウイルスを用いることが有力なストラテジーになる。 ファイバーのカルボキシ末端に塩基性アミノ酸のリジンを直列で20個含むF/K20変異型アデノウイルスは、ヘパリンやヘパラン硫酸などの陰性チャージの強い細胞表面糖鎖タンパクを吸着の標的とする。この吸着もアデノウイルスの受容体CARに依存しない。CAR受容体を介して十分な遺伝子導入効率が得られるヒト膵がん、大腸がんを初め多くのがんに関してF/K20変異型は効果を示さないが、ヒト悪性神経膠腫に関してだけは、野生型のファイバーを有するものに比べて10倍から50倍もの高い遺伝子導入効率の増強が見られた10)。 自殺遺伝子導入療法やサイトカイン遺伝子導入療法などで同じ量のウイルスを投与する場合には、変異型のウイルスを用いて導入効率が上がればそれに見合っただけの高い治療効果が期待できる。一方、副作用軽減などの目的でウイルスの投与量をできるだけ制限したい場合には、投与量を10分の1以下に減らしても従来ベクターと同等の治療効果が期待できる。ファイバー変異型のベクターでとりわけ高い治療効果が期待できるのは、制限増殖性のウイルスに組み合わせた場合である。野生型に比べてファイバー変異型の感染効率が10倍上がれば、初期に感染した細胞内で増殖して放出されたウイルス粒子が近傍の細胞に二次的に感染するときの効率もやはり10倍上がっているわけであるから、2サイクルの感染で100倍の効果が期待できる。3サイクルならさらに大きな差となる。この事実を視覚的に示したのが図4である。F/K20ファイバー変異型の制限増殖アデノウイルスをグリオーマに感染させると、野生型の制限増殖アデノウイルスを感染させたものに比べてはるかに高い遺伝子導入効率と細胞傷害活性とを得ることができる11)。図4は
in vitro で感染後1週間での染色結果を示したものである。マウスを用いた実験腫瘍治療モデルでも良好な治療効果を示しており11)、今後有望な治療アプローチに発展してゆくことであろう。 4 制限増殖アデノウイルスベクターの臨床応用に向けて ONYX-015はすでに欧米で遺伝子治療臨床研究が進められており、頭頚部腫瘍の局所療法では有望な結果が報告されている6ᬢ9)。侵襲が少ない局所療法によって機能が温存できることは、頭頚部・顔面などの領域の腫瘍を持つ患者のQOL
(quality of life) にとって大きなメリットがある。局所遺伝子療法によって腫瘍塊をあらかじめ縮小させることによって、遺伝子治療施行前には困難であった根治的外科摘除術を施行できるようになる可能性があることもメリットである。 進行がんの根治に向けた治療で最も大きな課題は遠隔転移のコントロールである。制限増殖アデノウイルスを用いて、遠隔転移した腫瘍細胞をコントロールすることが可能であろうか。全身に散らばった転移腫瘍を直接的に攻撃するためには、アデノウイルスの静脈ないし動脈内への注射による全身投与が考えられる。マウスを用いた実験モデルでは、制限増殖アデノウイルスを静脈内投与して、局所の皮下腫瘍への集積が得られたとする論文も報告されている14)。しかし、1999年秋には、ペンシルバニア大学での遺伝子治療臨床研究で、アデノウイルスの肝動脈内への大量投与による死亡例が出ている。従って、アデノウイルスの全身投与に関しては、副作用の機序の解明を含めて慎重な対応が必要であろう。マウスを用いた実験では、従来のヒト5型アデノウイルスを静脈内投与すると、肝細胞には非常に高い遺伝子導入が可能である。しかし、ヒトの場合は中和抗体を初め種々の免疫炎症反応が引き起こされるため、肝臓に高い遺伝子導入効率が得られるとは一概に予想できない。マウスモデルによる実験結果が、ヒトでの結果を十分に推定できるとは限らないことを常に念頭において、できるだけヒトの病態を反映した動物モデルを構築してゆくよう地道な努力を続ける必要がある。 静脈ないし動脈内への注射による全身投与によって、転移腫瘍を標的化するためには、図5に示すように、キャプシド変異型アデノウイルスを改良して、標的細胞に対して高効率でしかも特異性の高い遺伝子導入を達成する必要がある。さらに、副作用を防ぐためにも、肝臓を初めとする正常細胞への遺伝子導入が起こらないような選択性を与える必要がある。当然、CAR受容体を介した遺伝子導入は起こらないようにしておく改変が要求される。さらにペントンベースとインテグリンを介した遺伝子導入に関してもブロックすることが必要である。現在、遺伝子工学的には、CAR受容体やインテグリンと結合しないキャプシド変異型は容易に作成できるようになっている。どのようなリガンドないしモチーフを工夫して標的に対して選択性の高い強い結合を獲得するかが今後の研究の焦点となる。 おわりに 本総説では、現在、遺伝子治療臨床研究が進行している制限増殖アデノウイルスに関して紹介したが、アデノウイルスのほかにもさまざまなウイルスで同様の制限増殖ベクターを開発する試みが続けられている。制限増殖型の単純ヘルペスウイルスベクターはすでにグリオーマなどに対して遺伝子治療臨床研究が試みられている。新規の制限増殖ウイルスベクターとして、レオウイルスが腫瘍遺伝子rasの異常をもつ細胞を標的とできるという報告も出されている。現時点では、腫瘍選択的な制限増殖ウイルスベクターの開発は始まったばかりで、臨床研究の試みでは未だ大きな成果は得られていない。しかし、この方法は、ウイルスの増殖の特質と腫瘍細胞のがん化の機構との特異的な関わり合いを巧みに利用したものである。今後、長い将来にわたってがんの治療にウイルスベクターが役割を持ち続けるとすれば、このアプローチが有力な候補になると考えられる。 文献 1. Bischoff JR, et al. An adenovirus
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