第5章-胸部-
5.3 心臓と心膜腔
5.3.1 心膜腔 (図169,170,182,183,190--194,200)

1) 心膜腔の体表投影は図182を参照のこと。心嚢の前面に浅く大きく十字に切開を入れて心膜腔を開放する。この際、心嚢側面を下行する横隔神経を心膜から剥がして温存する。胸膜・腹膜とは異なり、心膜には線維性心膜という殻がある(ラングマン p.160)。つまり心嚢を作る心膜は、線維性心膜 Pericardium fibrosum + 漿膜性心膜 Pericardium serosum という2層構成になっている。本来の心膜、ツルツルした内面の心膜(漿膜性心膜)に触れる。壁側心膜と臓側心膜を区別して、心膜腔という空間を認識する(図169,170)。心膜炎などが原因で心膜腔にゲル状のものが貯留していることがある。

2) 下大静脈 IVC だけを切る。これで心臓がかなり動くようになる。スタッフの示説を受けながら、心膜横洞(心ループ形成から考えよう:ラングマン p.166-171)と心膜斜洞に指を入れる(図194,200)。

3) 左上・左下・右上・右下の計4本の肺静脈を切断すると、心膜斜洞が視野にはいる。まだ切れていない動脈と上大静脈 SVC も心嚢内で切断する。心臓側に付ける動脈は短くていい。心臓自身を損傷しないように注意する。こうして心臓を摘出する。

この先、心臓は繰返しもとの位置にもどして復習するので、心・肺のスケッチ課題を描いている間、心臓摘出後の大血管の切断端を動かしてはいけない。

Pericardial cavity心膜腔
Pericardium心膜
Pericardial sac心嚢
Phrenic nerve横隔神経
Parietal pericardium壁側心膜
Visceral pericardium(=Epicardium)臓側心膜(心外膜)
Inferior/Superior vena cava (IVC/SVC)下/上大静脈
*Transverse pericardial sinus心膜横洞
*Oblique pericardial sinus心膜斜洞
(Right/Left) Superior/Inferior pulmonary vein(左/右)上/下肺静脈


5.3.2 心臓のオリエンテーション
(図162,182,183,195--200,206--208,211--213,215--218,227,228,234)

心臓外面の心外膜を剥がして、心筋層との間に蓄積している脂肪をある程度除去する。冠動脈(臨床用語)の剖出は、内腔を見て全体のオリエンテーションが付いてから存分にやってもらう。

摘出した心臓に、割を入れて内腔を開く。本学では中隔の温存を重視した切り方を行なう。まず左右心房を開放し、内面を観察する。心耳(図195,199)は発生過程で最初にできる心房の遺残であり、抗利尿ホルモンを出す内分泌器官と言われている。新しくできた心房洞部内面は平滑だが、心耳内面には櫛状筋がある(図207,ラングマン p.179)。

次いで心室にはいる。肺動脈から右室に向けてまっすぐに前壁をハサミで切り下ろす。できれば、肺動脈弁の弁尖と弁尖の間をねらいたい。大動脈から左室に向けて一気にハサミで切り下ろすにはコツがある。左心耳を寄せて、左心耳肺動脈の間にハサミが通ること。この際、左冠動脈本幹 (LMT)を肺動脈側に付けたい。いずれにしても直線的にハサミを入れて壁を一割する。乳頭筋腱索は切れてもかまわない。弁尖と弁尖の間にハサミを入れたい。割線が小刻みにジグザグするのが一番よくない。少しでもわからなっかたらスタッフに聞く。

開いたら心腔内のクロット(凝血)をピンセットできれいに除去して組織片の容器へ入れる。さらに心腔内を汚物流しで洗う(通常の流しでは詰まる)。血管内にある細長く白っぽいゴムのような塊は、死後分離した血中の蛋白成分がホルマリンで凝固したものである。

Epicardium心外膜
Myocardium心筋層
Coronary artery冠動脈 (注:正式には冠状動脈)
Atrium心房
Auricle心耳
*Pectinate muscles櫛状筋
Ventricle心室
Ventriculus sinister
Ventriculus dexter
Pulmonary valve肺動脈弁
Papillary muscles乳頭筋
*Chordae tendinae腱索

1) 4室とその、そして4弁(図196)を確認する。これらの位置関係は、素人の予想よりはるかに複雑なので覚悟して欲しい。例えば図227,228のように 心臓が切れるためには、4室がどのように配置しているのだろうか。左室壁は乳頭筋があるものの平滑なのに対し、右室壁は3つの肉柱ないし肉束(付図 、表 5.3.2)の他、大小肉柱及び乳頭筋があり、凹凸が目立つ。

Aortic valve大動脈弁Valva aortae
Left/Right/Posterior semilunar cusp左/右/後半月弁尖
Pulmonary valve肺動脈弁
Left/Right/Anterior semilunar cusp左/右/前半月弁尖

Atrioventricular valves房室弁
Tricuspid valve三尖弁
Ventral/Dorsal/Septal cusp前尖/後尖/中隔尖
Mitral(Bicuspid) valve僧帽弁(二尖弁)
Ventral/Dorsal cusp前尖/後尖
*Trabeculae carneae肉柱

2) 右室を開き、左室からも指を当てて薄い室中隔膜性部をまず、同定する。室中隔の中に、筋性部膜性部漏斗部中隔(円錐中隔)を区別する(ラングマン p.186-187)。

3) 心房中隔卵円窩に触れる(ラングマン p.178)。高齢者でも弁状の隙間を見ることがある。

Interventricular septum心室中隔(室中隔)
Muscular part筋性部
Membranous part膜性部
*Conus arteriosus漏斗部(しばしば「右室ないし左室流出路」と呼ぶ)
Interatrial septum心房中隔
Fossa ovalis卵円窩

4) 上から大動脈を覗き込み、ヴァルサルバ洞 Valsalva's sinus(大動脈洞)冠動脈口を確認する。ヴァルサルバ洞とは、料理で使うおたまのような大動脈弁のポケット状の部分で、無冠()の3ヴァルサルバ洞がある(図196,217)。

5)三尖弁中隔尖を同定し、これを慎重にハサミでめくる。ヒス束の示説標本を参考にしてヒス束の剖出を試み、房室結節 AV node の位置を想定する(図215,216)。ヒス束は心内膜直下にあれば容易に剖出できる。洞房結節 SA node は、左右冠動脈の根部から上大静脈基部に向かう2本の動脈枝がぶつかる場所にある(図218)。

Aortic sinus (Valsalva's)ヴァルサルバ洞(大動脈洞)
Atrioventricular bundleヒス束
Atrioventricular node(AV node)房室結節
Endocardium心内膜
Sinoatrial node(SA node)洞房結節

4室4弁4中隔の立体的な構成については、心エコーと関係して何度も復習する。膜性部は、左ヴァルサルバ洞・無冠ヴァルサルバ洞および三尖弁中隔尖・前尖のいずれに近接しているだろうか。ヴァルサルバ洞動脈瘤破裂が右房(ないし右室)に連続して左-右シャント(シャント=短絡路)を作るというのは納得できるか。筋性部{きんせいぶ@筋性部(室中隔)と漏斗部の境界が稜をなしており、両者の平面は90-120度の角度で交わるだろうか。卵円窩は心房中隔欠損ASD(atrial septal defect)の、膜性部は心室中隔欠損VSD(ventricular septal defect)の、それぞれ好発部位だ(ラングマン p.182,189)。

その他、以下の項目を確認せよ。

Apex/Basis of the heart心尖/心底Apex cordis,Basis cordis
Opening of coronary sinus冠状静脈洞開口部
Ascending aorta上行大動脈
Pulmonary trunk肺動脈幹

■表: 形態から見た右室・左室の区別
右室左室
漏斗部ありなし
拡張期形態丸いおむすび型しっぽ(尾)型
収縮期形態三角おむすび型足型
肉柱全般粗大で互いに直交微細で斜走
中隔面の肉柱発達上方1/2-2/3で欠如(平滑な面)
乳頭筋主:1、小:複数主:2、小:1
乳頭筋の中隔起始複数欠如
房室弁三尖弁二尖弁(僧帽弁)
半月弁肺動脈弁大動脈弁
刺激伝導系1本2本

*心奇形では右室が左側にあり、左室が右側に位置することがある。

左房: 肉柱(肉束、帯)が心耳内に限局して心房洞部の内面は平滑
右房: 密な肉柱が心耳内に限らず心房洞部後面まで十分に進展(図206)

この時期にステート(聴診器)を用いて心音聴診の課題を出す。心音と音源の位置は必ずしも一致しない(図182,xxx,183)。心臓の各部を前胸壁に投影させる。前胸壁のどの位置に心臓のどの部位が対応するかは、シリンジに付けたカテラン針を用いて刺しながら検索する。はずした前胸壁をかぶせ、ボスミン(アドレナリン)の左室内注入を模して行なう(1.3)。第○肋間の胸骨○縁○横指から刺すと、4室のどこに刺さるか。シリンジに付けたカテラン針でボスミンを左室内注入する行為は、今も死亡確認の一種の儀式として行なわれている。この機会に前胸壁肋間筋血管神経(図xxx,162,234)を剖出してもいい(4.2)。


■付図(右心室の内景)



■付図(冠動脈の分布域)



■付図(刺激伝導系の剖出法)



5.3.3 冠動脈(冠状動脈) (図図201,203--205)

心外膜を完全に剥がし、心外膜と心筋層の間の脂肪を丁寧に除去して、動脈を細かく剖出する。静脈はごく太いところだけを残せばいい。左の大静脈の遺残として、左房外面に比較的太い静脈があるかも知れない(ラングマン p.202-204)。

冠動脈名は、臨床で日常的に用いられているAHA規約(アメリカ心臓病学会規約)に従う。国内で用いられる略語にもある程度慣れて欲しい。動脈は心筋に埋没していることがある(muscular bridge という)。心筋梗塞AMI(acute myocardial infarction)の成立と関係があるらしい。その部位ではピンセットを用いて心筋を少々削る必要がある。中隔枝房室結節枝などは、その親動脈を少し持上げて浮して剖出する。

心臓の外面で、心房心室の境の溝を冠状溝心室の間の溝を前後の室間溝という。冠状溝後室間溝が交差する部位をクラックス(Crux、十字)と呼ぶ。クラックスに、左冠動脈が分布する場合を左優位、右冠動脈が分布すれば右優位、左右から枝が来ればバランス型という。以下、後述のスケッチ課題を参照。クラックスには静脈が集まって冠状静脈洞をつくる。図を見て左前からの大心静脈、後ろからの中心静脈、右前からの小心静脈を区別する。クラックスの奥(前方)から僧帽弁と三尖弁の間にかけての領域は、心房側(例えば SA node)から心室側(AVとは限らない)への様々な伝導路(刺激伝導系)が通る。その中で副伝導路と呼ばれる経路が発達して重篤な不整脈を起こすことがあり、その際はクラックスの奥を冷凍凝固して治療する。

解剖学で用いる心臓の壁の名称(胸肋面、横隔面、肺面)は一応確認しておく。一方、心電図EKG、ECGによる心筋梗塞 の部位診断では、前壁梗塞、下壁梗塞、後壁梗塞、側壁梗塞、中隔梗塞と言うように左室に5壁を区分する。境界は不明確だが、この5壁を区別してみる。各壁へ分布する冠動脈は、教科書的に言うと、前壁と中隔前2/3にはLAD、側壁にはCxRCA、後壁と下壁と中隔後1/3にはRCAとされる。中隔には刺激伝導系が走るから、中隔の血行障害は様々な形のブロック(左脚ブロック、右脚ブロックetc.)として心電図上に出現する。
(left/right) Coronary artery(左/右)冠(状)動脈
Coronary sulcus冠状溝
Interventricular sulcus室間溝
Greater/Middle/Small cardiac vein大/中/小心静脈

冠動脈の名称
Right coronary artery(RCA)右冠動脈
Left main trunk(LMT)左(冠動脈)主幹部
(left/right) Circumflex branch(LCx/RCx)回旋枝
*Diagonal branch(D1,D2,-)対角枝
*Obtuse marginal branch(OM)鈍縁枝
*Postero-lateral branch後側壁枝
*Left atrial circumflex branch(AC)左房回旋枝
*Conus branch(CB/CN)円錐枝
SA node artery(SA)洞房結節枝
*Anterior right ventricular branch(RV)前右室枝
*Acute marginal branch(AM)鋭縁枝
(left) Anterior descending branch(LAD)前下行枝(前室間枝)
Posterior descending branch(PD)後下行枝(後室間枝)
AV node artery(AV)房室結節枝
*Posterior left ventricular branch(PLV)後左室枝
Coronary sinus冠状静脈洞

■心音レポート課題
■付図(冠動脈造影)



■付図(心エコー)
胸骨左縁長軸断面




心尖部四腔断面




5.3.4 選択スケッチ課題:冠動脈と心臓の立体構造 (図201,203--205)

心臓の形は簡単なようで実は非常に分かりにくい。傾き、ねじれている。しかも、臨床では妙な角度から画像化するので、解剖で見る心臓とのギャップが大きい。しかし、実習を工夫すればギャップが埋められる。

最初に、心臓左右斜め前から見た外景2図を1枚のケント紙にできるだけ大きく描く。左右斜め前(LAO/RAO)いう意味は、右冠動脈の走行が付図のようにL字型に見え、左冠動脈の走行がドーム型に見える角度を言う。その2図に冠動脈を剖出・観察して書込み、AHA名称を付ける(和訳でいい)。左優位・右優位・バランスのいずれか判断してスケッチの右上に記入する。次に筋性部に分布する中隔枝(S)の太さについて太いものから5本までを調べ、下記に示すようにスケッチの右上に記載する。

太いものから順に、後S1-後S2-後S4-前S1-後S7。 後S*:PDから出る*番目のS、 前S*:LADから出る*番目のSと仮に定義する。 最後に、筋性部膜性部漏斗部僧帽弁三尖弁大動脈弁肺動脈弁それぞれの位置を、2図それぞれに立体的に記入して引出し線で説明する。中隔を含む面は大きく分けて2面からなる。4弁の向きは異なるから、アサガオが皆こちらを向いたような図はウソである。その傾きが分かるように工夫して描く。工夫して描く苦労を通じて立体的構成を理解するのだから、他人のマネをしてはいけない。なお、課題作業中に小グループで心エコーの示説を受けること。


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