2003年4月25日 消化器癌の遺伝子治療
(Virotherapy: Replication-selective viral
therapy for cancer)
札幌医科大学 分子医学研究部門 濱田洋文(はまだひろふみ)
キーワード: ウイルスベクター、アデノウイルス、遺伝子治療、制限増殖型、 p53
サマリー
ウィルスタンパクの機能の一部を欠損した変異型ウイルスを工夫すると、標的とする特定の細胞中でのみ選択的に増殖するようになる。欧米では、進行がんを対象として、このような制限増殖変異型のアデノウイルスによる遺伝子治療の臨床研究が進められ、すでに成果が得られている。今後さらに、ウイルス外被に修飾を施すことによって感染特異性を付加できれば、目的とする細胞に選択的に遺伝子導入できる安全性の高い治療ベクターにできるであろう。
はじめに ウイルスベクターによる癌治療の課題(総説は文献1):
ウイルスベクターを用いた遺伝子治療のアプローチは、進行した消化器がんに対する未来の治療法として大いに期待されている。なかでも腫瘍に対して選択的に増殖する殺腫瘍ウイルス
(oncolytic virus) は、進行癌の治療として従来から行われてきた化学療法・放射線療法・サイトカイン療法などと交差耐性を示さない高い治療効果と選択性が期待されるものである。
腫瘍細胞に対する選択性のメカニズムとしては以下の3種類がある。1)もともと特定の組織に対し感染選択性があるRNAウイルスを用いるもの。麻疹MV-SPUDウイルス、レオウイルス、ニューキャッスル病ウイルス
(Newcastle Disease virus, NDV)
、vesicular
stomatitis virus (VSV)、など。2)正常細胞内での増殖に必要なウイルスの遺伝子を欠失させ、癌細胞でだけ増えるように工夫した欠失型ウイルス。ワクシニアウイルス、アデノウイルス、単純ヘルペスウイルス(HSV-1)、ポリオウイルス、など。3)ウイルスの増殖に必須のウイルス遺伝子を、組織特異的転写調節エレメンツでドライブするもの。アデノウイルスやHSVなどのベクターで試みられている。
当総説では、安全で有効な遺伝子治療のためのベクター開発を目指して、選択的増殖型のウイルスベクターによるウイルス療法
(virotherapy) に関して論議を進めてみたい。
1. E1変異をもつ制限増殖アデノウイルスベクター(総説は文献2,3,4,5)
制限増殖型アデノウイルス (conditionally replicating
adenovirus, CRAD) は、腫瘍細胞に特異的な遺伝的欠失が存在すると、その細胞でだけ増殖し、腫瘍細胞だけを殺すように改変されたアデノウイルスのことである。代表的なものとしてONYX-015
(dl1520) がある。dl1520は、1996年にBischoff
ら(文献6)によって、がんの遺伝子治療に用いる選択的増殖アデノウイルスとしての応用が報告され注目をあびた。もともとは1987年に
Barker and Berk (文献7) によって作製された、E1Bによってコードされる55キロダルトンのp53結合タンパク(E1B55K)を欠損させた欠損ウイルス
(dl1520) である。 Bischoff ら(文献6,8)によれば腫瘍抑制遺伝子p53を欠損した細胞、すなわちp53欠損腫瘍細胞で、特異的に増殖して殺細胞効果を示す。その理論的根拠などの背景については別の総説に詳しく述べた(文献2)。最近では、1996年に提唱されたときのようにp53欠損腫瘍細胞だけで増えるという表現(文献6,8)は不正確であり、「p53経路(文献9)」、すなわち「p14ARFの欠失ないしp53の欠失」を持つ腫瘍細胞で増殖できることが示されている(文献10)。いずれにしても、このタイプのE1B55K欠失型アデノウイルスは、正常細胞での増殖は非常に弱く、腫瘍特異性の高いベクターと言って良い。
キャプシド変異型とこのタイプの制限増殖型アデノウイルスとを組み合わせた報告(文献11、12)も多く、期待できる基礎実験結果が得られつつある。また、薬剤感受性遺伝子を組み込むことによって、抗腫瘍効果をさらに高めたり、逆に安全弁としてウイルスが増えすぎて毒性を示すのを防ぐことも可能である。非増殖型のウイルスと制限増殖型のウイルスとを併用すると簡便に効率の高い組み換え遺伝子発現を達成することができる(文献13)。
また、p53に結合するE1B55Kの欠失に加え、さらにE1AのRb結合部位を欠失した制限増殖アデノウイルスベクターも知られている。図1に示すように、アデノウイルスのE1AはRbと結合するモチーフを持っており、Rbの結合しているE2F-1をRbから遊離させることによって被感染細胞の細胞周期を回転させる(文献9)。E1Aに変異をいれてRbと結合できないようにすると、正常細胞ではアデノウイルスの増殖が進まないが、Rbによる細胞周期の制御が不能になった細胞、すなわちp16ink4aなどの変異をもつがん細胞ではアデノウイルスの増殖は抑制されないはずである。Fukuda
et al. らは、胆嚢癌の治療モデルを用いて、E1AのRb結合部位を欠失した制限増殖アデノウイルスベクターの抗腫瘍効果を示した(文献14)。多くの癌においてRb系とp53系の両者の異常が見られること、また、胆嚢癌ではp16、p53の異常の頻度が高いこと、などから、より安全性と腫瘍特異性の高まったベクターとして臨床応用が期待される。欧米ではすでに、このようなタイプのE1A変異型アデノウイルスも臨床研究で試みられ始めている。
ところで、E1 (E1AとE1Bの両方) を欠損したアデノウイルスは、ウイルス作りのホストの293細胞など特殊な環境を除いて、一般に増殖しないと考えられている。しかし、注意しておきたい例外もある。Steinwaerderらは、大腸がん、乳がん、子宮頚がん、肺がんなどではE1を欠損したアデノウイルスが増殖することを報告している(15)。これをうまく利用して腫瘍特異的な増殖ベクターにすることもできた(16)。
遺伝子治療臨床研究に普通用いられているヒト5型ないし2型アデノウイルスの増殖は種特異性があり、マウスやラットなどでは増殖しない。従って、制限増殖型のアデノウイルスの正常組織への毒性を調べる目的では、マウスや普通のラットによる毒性試験だけでは不十分である。アメリカのFDAでは、制限増殖型アデノウイルスのa)
in vivo での増殖、b)正常組織への毒性、c)生体への投与時の分布などに関して、コットンラットという特殊なラットを用いて調べることを推奨している。コットンラットは、アデノウイルスをはじめいくつかのウイルスやフィラリアなどの寄生虫病などに、ヒトと似た感受性を示すことから、感染実験に適した動物として実験に使われてきた。最近、イファクレード社というベルギーのブリーダーからSPF
(specific pathogen free) のコットンラットが入手できるようになり、動物実験従事者にとって安全に、制限増殖型のアデノウイルスの毒性試験を行うことが可能になってきた。今後、日本でも臨床研究に向けて準備が進められることと思う。
2. キャプシド変異型ウイルスベクター(文献5)
アデノウイルスの受容体はCAR (coxsackievirus
adenovirus receptor) であるが、この分子は多様な組織の細胞に普通に発現している。従って、アデノウイルスによる遺伝子導入の選択性は低い。そこで、制限増殖アデノウイルスの外被キャプシドタンパクに人工的な修飾を施すことによって、腫瘍だけに感染する特異性を付与し、一層の感染効率と選択性の向上を目指すことができる。その結果、正常細胞へのウイルス感染による不必要な副作用が抑えられるため、安全性の向上も期待される。キャプシド変異型アデノウイルスベクターによる標的特異的な遺伝子導入に関しては、さまざまな角度から盛んに研究が進められている。インテグリン分子群を標的とするRGDリガンド変異型アデノウイルスについては他の総説(文献5)に詳しく述べた。
現在、遺伝子工学的には、本来の受容体と結合しないウイルスキャプシド変異型は容易に作成できるようになっている。どのようなリガンドないしモチーフを工夫して標的に対して選択性の高い強い結合を獲得するかが今後の研究の焦点となる。たとえば、CD155陽性のグリア細胞へ選択性の遺伝子導入が可能なポリオウイルスをベースとしたベクターを開発してグリオーマの治療に使ってはどうかという発想がある。ポリオウイルスのCD155特異性など、自然に存在する各種のウイルスの細胞選択性は、比較的簡単にアデノウイルスなど他のベクターシステムに移植してくることが可能である。
3. 腫瘍の多様性 (heterogeneity)
について
腫瘍の治療を目的とする場合には、「多様性」というやっかいな問題がある(総説は文献6)。Yamamoto
et al. (文献17)では、アデノウイルスによる治療を繰り返し行うと、CARの発現しない細胞、すなわちアデノウイルスが感染しにくい細胞がメジャーになってしまう可能性があることを示唆した。制限増殖型のアデノウイルスに対しても、癌の多様性に起因する耐性が出現する可能性が予想されるため、あらかじめ対応できるような基礎研究を進めておく必要がある。
4. ウイルスベクターの全身投与について
非増殖型のアデノウイルスの全身投与で致命的な結果となった症例も報告されている(総説は文献18)が、2
X 1013個もの大量の制限増殖型アデノウイルスを静脈内に投与しても大きな副作用はみられなかったという報告(19)も出された。Reid
Tら (20) は、制限増殖型アデノウイルス(dl1520)を、大腸癌の肝転移を持つ患者の肝動脈に投与する第1相試験の結果を報告している。それによると、最大2x1012パーティクル(第1日と第8日の2サイクル)を肝動脈に投与しても、臨床上明らかな肝毒性は見られず、最大投与可能量
(maximally tolerated dose) も推定されなかった。副作用としては、軽度の発熱、悪寒、倦怠感がみられた。1012パーティクル以上の肝動脈ないし静脈投与でトランスアミナーゼのマイルドな上昇の見られる患者があった。ほとんどの患者で投与量依存的にIL-6とIL-10の上昇が見られた。1012パーティクル以上の大半の患者でウイルスの増殖が確認された。5フルオロウラシルと併用して制限増殖型アデノウイルスの効果が高まった症例もあったとのことである。
アデノウイルスの全身投与による毒性に関しては、知見が充分に蓄積されておらず、今後さらに十分な検討が必要であろう。静脈ないし動脈内への注射による全身投与によって、転移腫瘍を標的化するためには、キャプシド変異型アデノウイルスを改良して、標的細胞に対して高効率でしかも特異性の高い遺伝子導入を目指す必要がある。さらに、副作用を防ぐためにも、肝臓を初めとする正常細胞への遺伝子導入が起こらないような選択性を与える必要がある。当然、本来の受容体(アデノウイルスの場合はCAR受容体とインテグリン)を介した遺伝子導入は起こらないようにしておく改変が望ましい。
おわりに
現在、遺伝子治療臨床研究が進行している制限増殖ウイルスとしては、アデノウイルスのほかに単純ヘルペスウイルス
(HSV-1) がある。アデノウイルスの場合と同様、単独ないし放射線療法や化学療法、自殺遺伝子、免疫強化遺伝子などとの併用が試みられている。アデノウイルスやヘルペスウイルスのほかにもさまざまなウイルスで同様の制限増殖ベクターを開発する試みが続けられている。新規の制限増殖ウイルスベクターとして、レオウイルスが腫瘍遺伝子rasの異常をもつ細胞を標的にできるという報告が出されている。ほかにワクシニアウイルスをはじめとするポックスウイルス、麻疹ウイルスMV-SPUDなども有望視されている。欧米では、アデノウイルスとヘルペスウイルスの制限増殖型の遺伝子治療臨床研究がかなり進んで来たので、結果が注目されている。一方、2003年4月現在、日本ではまだ臨床研究がスタートしているものはない。しかし、腫瘍選択的ウイルス療法
(virotherapy) は、ウイルスの感染と増殖の特質(図1)と腫瘍細胞の由来組織やがん化の機構との特異的な関わり合いを巧みに利用したものである。今後、長い将来にわたって遺伝子治療にウイルスベクターが役割を持ち続けるとすれば、このアプローチが有力な候補になると考えられる。
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図の解説
図1 ウイルス遺伝子とがん抑制遺伝子p53ネットワーク。多くのウイルスは、被感染細胞のレティノブラストーマ蛋白(Rb)とE2F1を初めとするE2Fファミリー転写因子との相互作用をブロックするような蛋白(アデノウイルスE1Aなど)をコードしている。これによって、E2F-1などがRbから離れて、細胞増殖に必要な標的遺伝子を活性化する。しかし、これが同時にp14ARF蛋白の産生を引き起こし、MDM2活性(p53の分解を高める)を阻害する。その結果としてp53の安定化をもたらし、細胞とウイルス両方の増殖が遅くなる。そこでウイルスは、p53の機能を阻害するような蛋白(アデノウイルスE1B55Kなど)を作って、細胞の防御機構に対抗する。
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