2009年9月23日


今後の教育に関する理念と抱負

 

札幌医科大学 分子医学研究部門 教授 濱田洋文

 


総論:

 若い研究者・学部学生や大学院生の教育に当たっては、実際の研究で遭遇するさまざまな難題に対して、共に悩んで考え、実験を通して共に乗り越える、そしてその繰り返し、というスパイラルの実践を通して、次の世代を担う研究者を大切に育ててゆきたい。

 

各論(生命科学と医療の現場をつなぐ視点など):

 

1.動機づけ: 学ぶ側に動機(モティべーション)が乏しい場合には、良い教育が成り立たないのは言うまでもない。学生や若い研究者たちが生命科学を学ぶ現実的な動機はさまざまであろうが、その根底に共通して流れるものは「生命への畏敬(尊ぶこと)と生命への慈しみ(愛すること)」の心を源泉としていると思う。生命への畏敬や愛の心は、人が普遍的に持って生まれるものであり、教育技術の良し悪しで優秀になったり劣悪になったりするたぐいのものではない。しかし、核家族化・都市化が進み、人や自然と深くふれ合うことが少ない現代社会に育った若者たちは、命への畏敬や愛を深く育むことにつながる経験が少ないうちに現在に至っている場合が多いのも否定できない。

 このような観点から、私は、札幌医大の医学部学生の医学英語の授業(平成19、20年度)を担当した際には、「医師と患者とのつながり(文献1)」「白血病の子供とどう向き合うか(文献2,3)」「死とどのように向き合うか(文献4)」など「Medical Humanities: 医を考える」をテーマに原著文献を読み、学生と語り合い、意見を書いてもらった。書物を読み、自分の言葉で考えを語り文章に綴ってみることの繰り返しが、若い生命医科学徒の心を育む貴重な糧となることと感じている。

 私自身は、「難病(で苦しむこと)を不条理・戦うべき敵」とみなして研究を続けてきた(文献5)。私の研究へのモティべーションは、内科研修医時代に患者さんから学んだものが土台となっている。(文献6,7) このような背景もあって、私は、これから生命医科学を学ぶ若い人たちの教育においては、人の命の尊さ・生命の不思議さに感動をもってふれることのできるような機会を提供できたらと思う。具体的には連携大学病院や福祉養護施設での短期間の臨床実習、あるいは臨海研究施設等での発生学実習などが挙げられる。多くの方々の協力を必要とするが、教育のシステム作りにも取り組むことができたらと思う。

 書物からの学習と現場での体験を通して、また、自分の言葉で考え語り合うことを通して、若い人たちには、各人それぞれの生命医科学を学ぶモティべーションを確固とした深いものに育ててもらいたい。私たちの教育はその成長のためのお手伝いになれば幸いだと思う。それを通じて私たち自身も一緒に成長してゆけたらと願っている。

 

 

2.科学する学徒を育てる: 癌研での8年、次いで札幌医大での10年余、実地の実験指導あるいは毎週のグループミーティングでの実験データのディスカッションなどを通じて、若い研究者の研究指導を行ってきた。常に心がけてきたのは以下のようなポイントである。

 

A.治療法の研究においては、生命科学の基盤研究を臨床応用へとつなげることを目指して、本筋の流れを見渡せるセンスを養おう。

B.すべての問題点を列挙し(Problem-oriented system)、すべての可能性をもれなく挙げる。その上ではじめて、重要なもの・可能性の高いものから順に序列をつけて解析を進めてゆく。

C.仮説を立てて、思考実験を試みる。論理的に考える。「対偶」命題を実験で証明しても良い。逆や裏は、必ずしも真ならず。結果を予想してみる。三手先を読んで実験を計画する・論文を構想する(文献8)。具体的に数字で表現し考察するのがサイエンス(文学的な表現はダメ)。分子の数や大きさを具体的に計算する。必ずグラフに描く。

D.生物学は実験科学。実験して、得られたデータをしっかり考察しよう。多くの失敗から学ぼう。ただし、同じ失敗は二度としないように努める。「失敗いっぱい、失敗一回。」 トラブルシューティングが研究の一番の醍醐味。うまくいかないときに、一番のチャンスがある。

E.その事象が起こる確率を具体的に計算してみる。確率が極めて低い現象が観察された場合には、何か(仮説や解釈)が間違っている。

F.グラフの形から本質を見きわめよう。グラフの形が違えば、異なった現象を見ている(文献9)

G.分子(タンパク分子・アミノ酸など)の姿で現象を想い描き、頭の中に分子の活躍する漫画を描いて、実験から得られた現象を分子の姿で本質的に理解するよう努める。

H.発表の際には、 1)自分がいいたいことをはっきりと知る。 2)相手にわかってもらうためにわかりやすく正確に話す。 3)ディスカッションでは、相互に役立つような建設的な意見を述べよう。

 

 経験上、これらはそれぞれ一度教えればマスター、というわけにはいかない。私が教えてきたのは、ほとんどすべてが実験や研究の初心者である。それぞれさまざまなパターンで失敗する。それら失敗の実例に即しながら繰り返し教え、少しずつ前進してゆく「スパイラル学習」となる。トラブルシューティングは困難な場合も多い。困難なところこそ、克服に向けて、私自身が真剣に取り組むことが大切である。教育には、要領の良さや頭の良さとは異質の体力や勘・思いやり・精神的ねばり強さも必要となる。今まで、力不足のことも多かったが、若い人たちと一緒に難しい課題に取り組んで、誠意を持って研究を続けてきた。今後もこのような心がけで後進の指導を続けてゆきたい。

 

 

3.社会の中で広い視野をもつ学徒を育てる: 生命医科学の研究者・技術者も、専門に留まるだけではなく、人々の健康・福祉・医療の向上のために、そして、人々の本当の幸せのために、社会の一員として貢献するにはどうしたらよいか、広い視野に立って見渡す姿勢が大切である。特に、人類の世界歴史の流れの中での今を知り、私たちの国や郷土の歴史と今を学び、その理解に立脚したうえで、それぞれの仕事や生き方を通して社会と取り組んでゆかなければならない。私も現在勉強中の未完成形であるため高所から教え諭すことはできないが、教育の場においてはこのような視点を忘れず、若い生命医科学の徒と共に学ぶ気持ちで進んでゆきたいと思う。

 

 

参考文献

1 Peabody, FW,  The care of the patient. JAMA 88: 877-882, 1927.

2 Lynn S Baker,  You and leukemia: A day at a time.  Saunders, 2001.

3 Nancy Keene, Childhood Leukemia: A Guide for Families, Friends & Caregivers. Patient Centered Guides; 3rd.ed., 2002.

4 Elisabeth Kubler-Ross  On Death and Dying, Simon & Schuster, 1970.

5 札幌医大の私のWEBサイトに公開。「ほんとうに言いたいことは何か?」 
<http://www.sapmed.ac.jp/~hhamada/page2-1-050520.htm>

6 同上。「日暮れて道遠:伍子胥と范蠡」 
<http://www.sapmed.ac.jp/~hhamada/page2-1-050905.htm>

7 同上。「捏造、偽装、換骨奪胎。(第一部)」
<http://www.sapmed.ac.jp/~hhamada/page2-1-060125.htm>

8 同上。「論文を書くときでも三手先を読もう」 
<http://www.sapmed.ac.jp/~hhamada/page2-1-010301.htm>

9 同上。「グラフの形が違う!:ユーア、ロングの思い出」
<http://www.sapmed.ac.jp/~hhamada/page2-1-060127d.htm>