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収蔵標本解説


 第48号(2020年 3月発行)

『Geschenkt von den Ersten Graduierten zum       
      Gedächtnis an die Alma Mater 1950(図1)』

標本館運営委員 水口 徹
札幌医科大学 保健医療学部 看護学科 外科学 教授

 タイトルは、札幌医科大学標本館を飾るレリーフ「愛」に彫り込まれたドイツ語です。「第一期卒業生から母校に感謝の念を以って贈る。1950」との説明があります。すべて女性が彫られており女子医専からの伝統が引き継がれているようにも見えてきます。女性問題に関しては「上野千鶴子先生」の女子差別を指摘した入学式辞は記憶に新しいと思います。医学部口利き入学から事を発端にし、不正入学疑惑から入学者における男女比の問題までに発展した訳です。どこの大学でどのようなことが行われてきたかは、ご周知のとおりです。このレリーフには半世紀以上も先を見越していたかのように、現代の問題が交錯するようなノスタルジックな気分になります。そんな標本館の目玉展示物を紹介し、医学界における先駆者たちに思いを馳せてみたいと思います。
 The Hippocratic Oathと並んで陳列されているのはヒポクラテスの像です(図2)。イタリアのウフィツィ美術館にあるオリジナルの複製5体が昭和56年に日本へ輸出されたもののうちの一体で、東大医学部図書館や千葉大医学部本館でも確認されておりますが、大変に貴重な展示物の一つです。他にもいくつかの大学でも日本人の作製した像は散見されています。そもそもレプリカではありますが、本物のレプリカに触れつつ、ヒポクラテスの宣誓を読むことで厳粛な緊張感に陶酔することが出来ます。

 

 アンドレアス・ヴェサリウスが書き記した「De Humani Corporis Fabrica」のレプリカも陳列されています(図3)。人体解剖が許されるようになって、詳細な生体構造が判明してきました。心臓が4つの部屋からなること、肝臓は2葉あること、血管の始まりは肝臓ではなくて心臓であることを指摘しています。処刑された犯罪者の解剖を基に作成されたこともあり描写は過激な部分もありますが、中世医学の歴史にも実際に見て触れられることに感動を覚えます。 

 1800年代には女性の医学分野への進出に貢献したフローレンス・ナイチンゲールとエリザベス・ブラックウェルが活躍しました(図4)。ナイチンゲールのクリミア戦争(1854年)における衛生管理はEBMの先駆けとして知られています。ナイチンゲールは1860年にナイチンゲール看護学校(現King’s College London)をロンドンで作ります。一方のエリザベス・ブラックウェルはアメリカ最初の医学校を卒業した女性です。1868年ニューヨークで女子医学校を作ります。その後、妹のエミリーにニューヨークの学校は任せて、イギリスに渡って1874年にナイチンゲールとロンドン女子医学校を設立しています。ナイチンゲールは1820年5月12日生まれで、ブラックウェルが1821年2月3日生まれですので同級生ということになります。この二人がいなければ、女性の医学への進出は大きく遅れたものになっていたかと思われます。彼女たちの伝記を読むと、当時の女性差別とそれに立ち向かった軌跡に触れることが出来ます。

 一方で、日本最初の女性医師は荻野吟子です(図5)。この原稿が出るころには映画をご覧になられた方も多く、すっかり有名になっていることと思います。フランス大統領のマクロン-ブリジット夫妻の年の差は24歳ですが、荻野吟子も二人目の夫の志方之善とは13歳の年の差がありました。今金町の開拓にも多大な貢献をした訳ですが、北海道の開拓に最初の女性医師が関与していたことは、札幌医大との古の縁を感じます。これらの先駆者の貢献にもかかわらず、日本では性差別の問題が今でも指摘されており、当時の苦労は想像を絶するものだったはずです。

 ロザリンド・フランクリンを紹介させていただきます。ロザリンド・フランクリンは1920年7月25日生まれ、1958年37歳の時に卵巣がんで他界した今流で表現すると「美しすぎる研究者」と言えます(図6)。1953年4月25日のNatureにDNAのらせん構造に関する3つの論文が掲載されています。一つはワトソンとクリックの論文、一つはウィルキンスの論文で、最後の一つがフランクリンの論文です。DNAらせん構造に関するノーベル賞は1962年の生理学医学賞ですので、フランクリンは他界し受賞できなかった訳です。しかし、フランクリン以外の論文は、当時フランクリンの上司だったウィルキンス(キングスカレッジ)が彼女の撮影したDNA構造の写真を見て、ワトソンに送りワトソンらが横取りのような形で発表したとあります。結果的には3つの研究として同時に発表された訳ですが、なんとも後味の悪い逸話になっています。

 遺伝子研究では、ジョン・ベンダー(John Craig Venter)のゲノム解読においても似たような出来事がありました。ベンダーがScienceに発表する一日前の前日(2001年2月15日)にNIHのグループが国のプロジェクトの威信をかけて、Natureでゲノム解析を公表したことは有名です。ベンダーが2015年にレーウェンフック賞を受賞できたことはせめてもの救いです。ベンダーは今でもたまにツィートしていますので、皆さんも「いいね!」をつけていただければと思います。
札幌医科大学標本館には、数多くの歴史的価値のある貴重な展示物が数多く眠っています。実際に足を運べば、この記事のようにあれこれと4次元的に回想できるはずです。如何ですか4次元体験?

 

 


 

 

 

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