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収蔵標本解説


 第50号(2022年 3月発行)

電顕写真2万枚から生命の本質に迫る

標本館運営委員 藤宮 峯子
札幌医科大学 解剖学第二講座 教授

 2008年に札幌医大の解剖学第2講座教授として赴任してきた時、ある名誉教授の方が、私の部屋から大倉山ジャンプ台を見ながら、「藤宮さん、貴女はこの大学で独自の学問を打ち立てて、あのジャンプ台を下から上へ、天に向かう勢いで良い仕事をして下さい」と激励して下さいました。私にとって独自の学問とは何か?とジャンプ台を見ながら過ごしましたが、2012年に、突然その答えがやって来ました。世界中の研究者が躍起になって研究しても、癌で亡くなる人は増加する一方で、また認知症や鬱病も増加し、自己免疫疾患や変性疾患で苦しむ人も大勢いる。世界中で膨大な予算とエネルギーを投入して医学研究が行われているのに、なぜ病気が増え続けるのか?自分がやるべき事は、「なぜこれらの病気になるのか、どうすれば治せるのか」を突き止める事だ、と腹を決めました。そのためには、「生命とは?」と言う根本的な問題を解決する必要がありました。医学研究における私の独自な方法は、「形から本質を探る」形態学です。それ以来、2013年から2018年までの5年間で、280日にわたって電顕室に通い続け、約2万枚の電顕写真を撮影しました。観察した組織は、脳、血管、腎臓、肝臓、骨髄、胎盤、癌組織などで、ほぼ全てがヒトサンプルです。幸い、解剖学講座では、白菊会会員の方の献体を研究に使わせて頂けるというメリットがあります。また、本学の電顕室は、おそらく標本作成技術と研究者へのサポート体制において日本一だと思います。これらの恵まれた環境のおかげで、「生命力とは何か?」「なぜ病気になるのか?」また、「自己治癒力の本体とは?」等の命題に対しての答えをつかむ事が出来ました。
 この根本的な問いに対する答えを与えてくれたのは、高齢者の脳の電顕所見でした。肉眼解剖学的に大脳皮質や海馬の萎縮が顕著で、光学顕微鏡観察でアミロイドβの沈着と神経原線維変化があり、どこから見てもアルツハイマー病の病理所見があるのに、遺族へのインタビューでは認知症は全く無かったという症例に出会ったのです。大脳皮質や海馬の萎縮があり、アミロイドβの沈着や神経原線維変化があるにもかかわらず、認知症の症状が出ないとは一体脳の中で何が起こっているのだろう? 必死になって電顕観察する中で、これらの症例に共通の所見を発見する事が出来ました。脳の表面の小動脈―毛細血管の周皮細胞から大量のエクソソームが脳軟膜に向かって放出され、線維性アストロサイトの太くて良く発達した突起にこれらのエクソソームが取り込まれていました(図1)。さらに、アストロサイトの突起はニューロンにまとわり付き、ニューロンにエクソソーム・トランスファーをし、トリパータイトシナプスとして神経伝達を刺激していることが分かりました。一方、病理所見通りに認知症を発症していた症例では、周皮細胞はエクソソームを分泌せず、線維性アストロサイトの突起も細くて弱々しく、ニューロンに対して何の作用も及ぼしていないのです。つまり、海馬の萎縮や神経細胞の脱落があっても、残りの神経のシナプス伝達を促進できる線維性アストロサイトの活性化こそが、認知症になるかならないかの鍵を握っていたのです(文献1)。それでは、大量のエクソソームを放出して線維性アストロサイトを活性化させるという重要な役割を果たす周皮細胞はどこから来たのか?骨髄由来の間葉系幹細胞が線維細胞として血行性に脳表面の毛細血管にたどり着き、周皮細胞として脳表面に存在することがわかりました(図2)。

 

 

 

 

 これらの所見から、脳において異常な病理所見があっても、認知症になる人とならない人の違いは、骨髄由来の間葉系細胞にその原因があることがわかったのです。つまり、骨髄由来の間葉系細胞が血行性に各臓器にたどり着き、脳においては周皮細胞として、末梢臓器では間質細胞として、各臓器の実質細胞に向かって活発にエクソソームを放出し、結果として臓器機能を維持できるかどうかが、病気になるかどうかの分かれ道なのです。
 それでは、どうすれば骨髄由来間葉系細胞を活性化させる事が出来るのでしょうか?講座の研究で、ラットをEE(Enriched Environment=豊かな環境)で飼育すると、骨髄由来の間葉系幹細胞が活性化し、組織修復能と抗炎症作用を持ったエクソソームを放出する事を突き止めました(文献2)。実験動物における「豊かな環境」は、人に当てはめると「前向きで能動的な生き方」や「人と人との豊かなコミュニケーション」「よく体を動かす事」などでしょう。つまり、「生き方」や「考え方」を変えるだけで、骨髄由来間葉系細胞が活性化され、認知症やその他の疾患にならないで済むのです。講座では再生医療を目指して、アルツハイマー病のモデルマウスに骨髄間葉系幹細胞を投与して認知症を治す研究をしていますが、驚くべきことに動物をEEで飼育するだけで認知症が治ってしまったのです(文献3)。
 これらの結果は、次世代の医療を考える上で非常に重要な所見だと思います。疾患を治す力(内在性の間葉系細胞の活性化=生命力)は、本来身体に備わっており、この「自己治癒力」(=生命力の活性化)を上手に引き出すことこそが、最高の医療だと考えています。

文献1 Kobayashi E, et al. Sci Rep. 2018 Jan 26;8(1):1712.
文献2 Kubota K, et al. PLoS One. 2018 Sep 21;13(9):e0204252.
文献3 Nakano M, et al. Brain Behav Immun Health. 2020 Sep 22;9:100149.

 


 

 

 

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