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標本館だより


 第52号(2024年 3月発行)

『たまには眼と心に栄養を!』

標本館運営委員 大﨑 雄樹
札幌医科大学 解剖学第一講座 教授

 

 私の所属する解剖学第一講座は学生教育としては、解剖学のうち、顕微鏡下で細かな組織構造を学ぶ「組織学」、神経系構造と機能を学ぶ「神経解剖学」を主に担当しています。また私は本学のサージカルトレーニングセンター長も務めております。同センターは、医師がご献体を用いて手術手技習得や治療法開発研究を行うサージカルトレーニングセミナーの開催を支援しております。筋肉や骨・関節の構造機能を調べる臨床解剖研究など、ご献体のお身体を利用した医学研究も本学は盛んであり、本学の出身者/関係者の皆さんがこうした卒後解剖教育を通じて学び、人体構造を「観察する」お手伝いをしております。一方、個人の研究領域としては細胞内のコレステロールをはじめとする脂質の代謝・輸送経路の仕組みを主に顕微鏡下で探索しており、スケールの大小こそあれ、日々「何かを観察する」毎日を送っています。
 さて、自然科学の研究プロセスは、基礎分野か応用分野かにもよりますが、概ね以下のようなものかと思います。

① 観察事象への気づき
② 仮説
  (a)How come?(原理解明)
  (b)So what? (機能、実用性解明)
③ 実験、検証
④ 結果の考察、新発見、再び②へ

 どのステップにおいても、わずかな違いに気づくことのできる「観察眼」が重要となります。観察眼は天性の素質を持っている方もいると思いますが、多くは経験によって養われるといえます。観察眼には少なくとも2種類有ると思っています。一つ目は過去のデータの分類に照らして、今観ているデータが何に分類されるのかを見分ける能力。例えば自分の専門分野において古典的な典型像(例:健常人の組織像)とバリエーション(例:病変部組織像)の差異を多数例読み込むことにより一部は獲得できるでしょう。しかしながら今日、ある専門分野の画像の差異を分類化する能力に限って言えば、無数のデータをディープラーニングさせたコンピューターAIには敵いません。人類が未だ機械に勝るもう一つの観察眼は、新しいものを探す力や創造力を駆使して同じ画像一枚からでも新たな分類、発見を生み出す能力だと思います。こちらの「観察眼」は、専門分野の経験に限らず、むしろ専門分野外の研究論文の批評であったり、サイエンスとは無関係な日常の現象観察であったり、極端な話、視覚情報のみならず様々な感覚情報の比較経験を通じて多角的なセンスを磨くことでも培え得る能力だと思います。(といいつつ、今日のAIの機能向上は凄まじく、創造性を必要とする仕事までこなすようになり、医療分野においても人類の仕事はそのうち、コンピューターへのデータ入力と吐き出された結果の手直しが主になるかもしれませんが。)図A, Bは、細胞内コレステロール輸送に障害のある疾患モデル細胞の蛍光写真と電顕写真ですが、水に溶けないコレステロールがライソゾーム内でどのように蓄積しているのか不明でした。電顕で拡大して観察するとライソゾームの中にはコレステロール豊富な多重膜構造が出来ていました。図Cはある原因不特定の肝炎患者の肝細胞電顕写真ですが、本来は細胞質に在る脂肪滴という油滴がなぜか核の中にも見つかりました。単なるゴミなのか、はたまた肝機能にとって重要な構造なのかを調べているところですが、こうした新発見(珍発見?)を目指して、生命の中の不思議な構造/機能が埋まっていそうな場所を探すための観察眼を、日々養いたいと思っています。
 基礎医学研究、トランスレーショナルリサーチ、臨床医学研究、いずれの研究フェーズにおいても、上記の研究思考プロセスが重要となるでしょう。研究のみならず、日々の仕事や暮らしの中の課題を解決するには、一瞬立ち止まって、できれば複数人で議論しながら仮説を巡らせる時間はとても重要だと思います。皆さんも、一人で悩んでいた課題解決のアイデアが、気晴らしに誰かとおしゃべりする中で浮かんだことがあるのではないでしょうか。
 古来より博物館や美術館は上記研究プロセスの①②③④を実行するための「観察眼」能力を磨く絶好の場として存在しているのかもしれません。博物館、美術館の歴史を辿ってみると、ギリシア・ローマ時代から中世までは王侯貴族や有力者、神殿、教会が珍しいもの、宝物を集め、彼らの権力誇示のために限られた人にのみ閲覧させたのが始まりと言われます。教会が様々なものを収集、展示して人々を集め、教義普及の手段とする傍ら、動植物などの観察成果を書物に編纂するようになり、さらにイタリアルネッサンス期になると、やはり有力貴族による学問、芸術の庇護のもとではありますが、美術品の収集とそれを展示する美術館建造が始まったとされます。一方科学的な視点からの収蔵展示は、近代になってドイツ圏の貴族、学者らが、Wunderkammerと呼ばれる博物陳列室に、鉱石、動植物標本、医学用具、天球儀、自動人形などを展示する風潮に端を発すと言われ、やがて18世紀に大英博物館が誕生しました。また19世紀にロンドンで初開催された万国博覧会をはじめ、世界各地で行われた博覧会のために収取された展示物を基礎資料として、国家規模の博物館が建設されていきました。
 本学の標本館の展示品内容は、全国の医療系大学のなかでも有数の規模と幅広さを誇ります。他の医学部・医科大学では昔の貴族よろしく標本は倉庫の中にしまいっぱなしのところが多いのですが、本学では古人骨コーナー、疾患例別コーナー等に区分して多数展示しており、解剖学、病理学、発生学、産婦人科学、感染症学、腫瘍学等、さまざまな分野に興味がある方々にぜひ観ていただきたい内容です。COVID-19蔓延時には標本館訪問を自粛した方も多く、現在の低学年学生の中には一度も閲覧したことのない学生も多いかと思います。本学の学生さんは入学時だけでなく、高学年になり様々な知識を身につけてから再度訪れてほしいですし、医師、看護師、理学療法士、作業療法士、放射線技師等の医療現場の方々、さらには病院、大学の教職員の皆様も折に触れ観覧していただきたいです。人体組織標本の展示が並ぶ空間は、静謐な時間が流れます。みなさまぜひ本学標本館を観覧しながら、医学の、そして日常の疑問にゆっくり思索を巡らせるひと時を過ごしてみてはいかがでしょうか。

 

 


 

 

 

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