腹壁筋の解剖はすでに終わっていた方がいい(p.)。鎖骨は切断、腕神経叢が剖出され、前鋸筋と長胸神経が確認され、できれば前鋸筋が肋骨からはがれていること(p.)。
手術として行なう開胸術が肋間を拡張していくのとは異なり、解剖学実習では胸郭前部を大きく除去して視野を広げる。自分の腋窩に手を入れて、広背筋 が作るヒダに触れてみる。この位置に降ろしたタテの線を後腋窩線 という(Fig.21)。ライヘの後腋窩線のレベルで、第1肋骨から第8肋骨 付近まで、肋骨剪刀という特殊なハサミを用いて切断する(Fig.163)。胸膜 に包まれた肺 が深部にある。これを損傷しないように、軟部を奥に押込みながら作業を進める。前鋸筋の残りや肋間筋は、メスを用いて切断する。第1肋骨を切断する時は、腕神経叢を損傷しないように注意する。第1-2肋骨に付着する(前・中・後)斜角筋 を肋骨から剥がす。胸鎖関節 の観察がまだなら、胸鎖関節の関節円板 を確認する(Fig.148)。
Latissimus dorsi muscle | 広背筋 | 21 | ||
Rib(s) | 肋骨 | 147 | ||
Pleura | 胸膜 | 169 | ||
Lung | 肺 | 163 | Lunge, Pulmo | |
Serratus anterior muscle | 前鋸筋 | 145 | ||
Intercostal muscles | 肋間筋 | 147 | ||
Brachial plexus | 腕神経叢 | 26 | ||
Scalene muscles | 斜角筋 | 707 | ||
Sternoclavicular joint | 胸鎖関節 | 148 | ||
Articular disc | 関節円板 | 148 |
ここでトラカール針 を用いて胸腔穿刺 を模してみる(Fig.164-167)。 現場ではもちろん体表から刺す。あらかじめ、肋間の上下どこに血管・神経が走るか、その配列はどうか復習する(Fig.233)。胸腔穿刺は胸水 を吸引除去するルーチンの手技だが、不用意な穿刺で肺 や肋間動静脈 の損傷を起こすといった事故も少なくない(p.)。なお、すでに IVHの刺入実習(p.)が行なわれていれば、開胸時に針が抜けないように注意する。
肋骨の切断を終えたら、胸骨 上端から慎重にメスを入れて胸骨と深部を引き離す。メスの刃が後方を向くと、人体血管系の要衝である上縦隔を損傷してしまう。困ったらスタッフに手伝ってもらう。ある程度剥がしたら胸骨後方に指を入れ、さらに手を入れ、胸骨 を前方に浮かしていく。胸骨柄と胸骨体の境界の段を胸骨角 という。肋骨の切断端で負傷しないように注意する。内胸動静脈 があまり緊張しないうちに、頚部側から前胸壁に向けて立上がった5-10cm程度の部位で切断する(Fig.162)。肋骨 を深部から剥離し、前胸壁を下方に大きく反転する。無理すると深部を損傷したり、不要な部位で下位肋骨が折れてしまう。線維性心膜 と胸骨をつなぐ丈夫な結合組織はメスで切断する。必要に応じて第9-12肋骨も肋骨剪刀で切断する。以上の過程で、壁側胸膜 がある程度破損するのはやむをえない(Fig.160)。胸膜炎 pleuritis (肺癌 、結核 などはもとよりカゼをきっかけとした炎症でも、胸水 が貯留する)による癒着 は、高齢者では大なり小なり認められる。のり状の多量の胸水があれば供覧するので報告する。うち続く高熱に患者の苦痛と医師の疲労が実感される。
Intercostal artery/vein | 肋間動/静脈 | 233 | ||
Sternum | 胸骨 | 153 | ||
Sternal angle | 胸骨角 | 153 | ||
Superior mediastinum | 上縦隔 | 191 | ||
Internal thoracic artery/vein | 内胸動/静脈 | 162 | ||
Pericardium fibrosum | 線維性心膜 | 170 | ||
Parietal pleura | 壁側胸膜 | 169 |
肋骨弓 と胸骨剣状突起 に付く横隔膜 の起始が見えたら、いったん開胸作業をやめて、全員で横隔膜を観察する(Fig.162,233,245)。素人には横隔膜が水平に位置するという誤解があるが、筋性部分はむしろタテ方向に走る(Fig.362)。タテ方向の筋束は後体壁にもあり、後日解剖する(p.)。
横隔膜と他の筋の位置関係を確認する。腹直筋 の肋骨起始は胸壁の前面にあるから横隔膜とは離れている。反転した前胸壁の内面に胸横筋 があり、下方は腹壁で観察した腹横筋 と連続している。肋骨弓では、胸横筋 ・腹横筋と横隔膜の起始が噛み合っている(Fig.261,p.) 。胸部と腹部を区切りたい横隔膜と、胸部から腹部まで連続したい横筋が、いかに肋骨弓を住み分けているか理解する。横隔膜の胸骨部・肋骨部の間は、解剖では胸肋三角 と呼ばれ、上腹壁動静脈 が通過する (Fig.162)。臨床では左をラーレー孔 Larrey 、右をモルガニ孔 Morgagni と呼び、腹部消化管が上方に脱出してくる。小児外科で緊急を要する横隔膜ヘルニア の1つである。左右ではモルガニ孔ヘルニアの方が多い。 内胸動脈 は上腹壁動脈 と筋横隔動脈 に分れる(Fig.260)。
反転した胸壁 は、必要に応じて横隔膜起始を剥がし、本体から完全にはずしても差し支えないが、急ぐことはない。前胸壁自体の解剖は p. を参照する。後で再び胸壁を乗せて復元し、胸部内臓との位置関係を確認するので、肋骨を追加切除してはいけない。肋間と胸部内臓の位置関係がずれるからである。
Diaphragm | 横隔膜 | 162 | ||
Rectus abdominis muscle | 腹直筋 | 162 | ||
Transversus thoracis muscles | 胸横筋 | 162 | ||
Transversus abdominis muscles | 腹横筋 | 162 | ||
Costal arch | 肋骨弓 | 261 | ||
Sternum | 胸骨 | 153 | ||
Xiphoid process | 剣状突起 | 153 | ||
Sternocostal triangle | 胸肋三角 | 162 | ||
Superior epigastric artery/vein | 上腹壁動/静脈 | 162 | ||
*Musculophrenic artery | *筋横隔動脈 | 162 |
開胸後、最初に胸部内臓のオリエンテーションをつける。左右の肺 を包む壁側胸膜 は残っているだろうか。損傷がひどければ、他班の保存のいいライヘで確認する。心嚢 に入ったままで心臓 に触れる。下頚部の大血管を下方にたどって上縦隔 を触診する。さらに大血管の配置を知るため、フィンガーディセクション(指先による解剖)を行なう。最初は神経を切らないように慎重に、次第に大胆に次の構造を順に確認する。
Parietal pleura | 壁側胸膜 | 160 | ||
Trachea | 気管 | 190 | ||
Bronchus | 気管支 | 189 | ||
Aortic arch | 大動脈弓 | 190 | ||
Brachiocephalic trunk | 腕頭動脈 | 190 | ||
Left common carotid artery | 左総頚動脈 | 190 | ||
Left subclavian artery | 左鎖骨下動脈 | 189 | ||
Root of the lung | 肺根 | 171 | Radix pulmonis | |
Esophagus | 食道 | 187 | ||
Vertebral column | 脊柱 | 227 |
上・前・中・後の各縦隔の区分を知識として整理しておく(Fig.191)。
縦隔 =胸腔 -肺を含む胸膜腔 。上縦隔 は胸骨角 より上方、上縁は鎖骨 と第1肋骨 、下縁は横隔膜 。前・中・後の各縦隔は胸骨角より下方にある。通常は胸骨柄と胸骨体の境(胸骨角)が第2肋骨ないし第4胸椎体に対応する。前縦隔 は心嚢 より前方の薄い部分で、胸腺脂肪体 と内胸動脈 などがある(Fig.187)。中縦隔 =心嚢(心臓 ・心膜 )で、心嚢より後方が後縦隔 だが、気管下部と主気管支周囲のリンパ節を中縦隔リンパ節 と呼ぶことがある。
頚部の解剖ですでに、リンパ節 は見つけて除去しているだろうか(p.)。静脈角 付近のリンパ節を除去しながら(p.)、胸管 を探す(Fig.242,715)。ここは無理しないで、先に進んでいる班を参考にする。胸管だけは最後まで温存する。
Superior/Anterior/Middle/Posterior mediastinum | 上/前/中/後縦隔 | 191 | ||
Sternal angle | 胸骨角 | 154 | ||
Thymus | 胸腺 | 187 | ||
Internal thoracic artery/vein | 内胸動脈/静脈 | 187 | ||
Venous angle | 静脈角 | 242 | ||
Thoracic duct | 胸管 | 242 |
横隔神経 を頚部で(Fig.703,711)再確認し、下方に追及して心膜 の外面まで(Fig.190)たどる。開胸の際に切断した内胸動脈 を確認して根部まで剖出しておく(Fig.192,260,711)。内胸動脈枝の心膜横隔動脈 は、心膜の栄養血管で横隔神経に伴走する。内胸動脈 と内胸静脈は頚部側では伴走せずに離れていく(Fig.192)。内胸動静脈に沿う前縦隔リンパ節 (ここでは内胸リンパ節群 )は乳癌 取扱い規約上で有名だ。内胸動静脈間と腕頭静脈角で、特に発達している。観察しながらリンパ節 を除去していく。前胸壁では、しばしば静脈が内胸動脈の両側にある(Fig.146)。
Phrenic nerve | 横隔神経 | 190 | ||
Pericardium | 心膜 | 190 | ||
Internal thoracic artery/vein | 内胸動脈/静脈 | 187 | ||
*Pericardiacophrenic artery | *心膜横隔動脈 | 190 | ||
Anterior mediastinal lymph nodes | 前縦隔リンパ節 | 192 |
IVH の実習 で針がどこに刺さったかを確認してみよう。胸膜を破って医原性の気胸 を起こしてはいないか。胸膜 に傷が付き、大気が流入すると胸膜腔の陰圧が失われ、肺 はそれ自体の弾性によって収縮して呼吸障害 が生じる。
総頚動脈 ・内頚静脈 を下方にたどり、上縦隔 の大血管を剖出する。浅側にある左右の腕頭静脈 が最初に剖出される(Fig.710)。腕頭静脈の血管周囲にある血管鞘 を除去する。この付近のあいまいだが便利な表現として頚胸移行部 という用語がある。胸腺脂肪体 が胸腺 らしい形を留めているライヘでは、他班にも紹介する。あらかじめ胎児の胸腺を示説標本で観察しておく(Fig.219,281)。胸腺脂肪体は完全に除去し、腕頭静脈を浮して深側の動脈を剖出していく。甲状腺 に出入りする血管を再確認しておく(Fig.711,715)。下甲状腺静脈 に伴走する動脈があれば最下甲状腺動脈 A.thyroidea ima の可能性がある(p.)。甲状腺の血管は変異に富むので複数の班で観察する。左腕頭静脈を正中線付近で切断して左右に反転すれば、さらに深部の剖出が進む。太い気管支縦隔リンパ本幹 が見つかるかも知れない(Fig.711)。
健康体でも縦隔のリンパ節 はよく発達している。呼吸を通していつも抗原刺激を受けているためであろう。黒いリンパ節はアンテラ Anthracosis と称される。リンパ節内のマクロファージが粉塵を溜め込んでいる。アンテラの量と位置は、肺 からのリンパ流を示唆する。肺癌 ・食道癌 など臨床では、これら縦隔リンパ節 の位置の認識が重要である。実習の進行状況を見てリンパ節実習を行う。リンパ節を除く際に、左右の反回神経 を損傷しないようにする。反回神経麻痺 の大半は、癌手術のリンパ節郭清による医原性である。
胸膜 に包まれた肺の内側で心嚢 との間にも脂肪がたくさんある。これを除去しながら、横隔神経 を裸にする。上大静脈 も後方まで剖出が進み、上大静脈が浮いてそこに注ぐ奇静脈弓 が確認できる(Fig.187,234)。上縦隔 の深側に腕頭動脈 が見えてくる(Fig.193)。
Common carotid artery | 総頚動脈 | 710 | ||
Internal jugular vein | 内頚動脈 | 710 | ||
Brachiocephalic vein | 腕頭静脈 | 710 | ||
Thymus | 胸腺 | 187 | ||
Thyroid gland | 甲状腺 | 710 | ||
Inferior thyroid vein | 下甲状腺静脈 | 703 | ||
Bronchomediastinal lymph trunk | 気管支縦隔リンパ本幹 | 711 | ||
Mediastinal lymph node | 縦隔リンパ節 | 187 | ||
Recurrent laryngeal nerve | 反回神経 | 896 | ||
Pericardial sac | 心嚢 | 189 | ||
Phrenic nerve | 横隔神経 | 190 | ||
Superior vena cava | 上大静脈 | 187 | ||
Azygos vein | 奇静脈 | 187 | ||
Arch of the azygos vein | 奇静脈弓 | 186 | ||
Bronchiocephalic artery | 腕頭動脈 | 190 |